チャパツ

 

 サッカ−のカズが試合の途中で交代を告げられ、「このおれか!?」と答えたときのテレビの映像が記憶にある。

そのあとワ−ルドのメンバ−からはずされて、フランスからイタリヤに回って成田についたとき、カズは髪をチャパツに染めていた。これが私にとってのはじめてのチャパツの印象であった。

 第二は、四十数年平和であった弘前で、春の宵の帰り道、「おやじがり」のように若い二人の男に前後を挟まれたとき、前にたちはだかって胸元をつかれたときの子の髪が「チャパツ」であった印象である。

 翌日のゴルフで、ミドルで88パ‐パ‐とつづけてたたいて、「PTSD」と診断された思い出がある。

 ヨ−ロッパをあるいていたとき、赤毛の髪は評判が悪かった。そして「あの黒いすらっとしたちじれていない髪は何と魅力的だ」といわれた記憶がある。

 髪の毛というと私も長髪にしていた時があった。

 キャネル夫妻が籏野先生の案内で秋田から弘前にきたときであった。

 「ロングヘヤ−の教授に初めてあった」と言われ「はげをかくすため」とからかわれた思い出がある。

染めているわけではないが、ふしぎにまだ髪は黒い。年相応が良いと思う。

 毎朝散歩に行く大学構内には見事ともいうべきチャパツの学生が歩いており、やたらにケイタイをもつ孫のような子が目立つ今日この頃である。(20000526)

(日本医事新報,4031,7,2001,7.28.)

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