車椅子の天才物理学者

スティーヴン・ホーキング博士

(1942年1月8日 - 2018年3月14日)
私は今、兄のスティーヴン・ホーキングとともに日本を訪れています・・・(1990年9月)

ホーキング博士はご存知のように、車椅子の天才宇宙物理学者として世界的に有名です。 ケンブリッジ大学でエイトのコックもつとめた快活な若者は、筋萎縮性側索硬化症と診断され、歩くことも話すことも出来なくなりました。しかし当初2〜3年といわれた彼の病状の進行が遅れて研究の意欲を取り戻した彼は、宇宙のはじまりには特異点が存在するはずだという「特異点定理」を発表、それまでの宇宙物理学を大きく変え、1974年には史上最年少の32歳でイギリス王立協会会員となり、ケンブリッジ大学のルーカス記念数学教授職につきました。このポストはかのニュートンが占めていた要職です。

丁度ホーキング博士が発病するかしないかの頃、このホーキング博士の実の母親と妹が、私の郷里、本州の北の果ての一地方都市を訪れ、そしてその文化を讃えたのです。

後に知ることになりましたが、ホーキング博士もクラシック音楽、とくにモーツァルトを、そしてもちろんあのお母さんの作ったプディングを愛しているそうです。

天才は! 忘れた頃に やってくる!



ホワイトハウスでの講演(1998)

追信:わが家のブラックホールはその後水洗になりました。
このフィリパ(Philippa Hawking)さんのことを綴ったエッセイ「ケツとゴク」はこちら。

後記:スティーヴン・ホーキング博士は1942年オックスフォードに生まれ、オックスフォード大学を卒業後イギリスのもう一つの名門校ケンブリッジ大学院に進学、ケンブリッジ大学の教授をつとめ、2018年3月14日にケンブリッジで76年の人生を終えました。お母さんのイゾベルさんIsobel Hawking(1915 - 2013)と妹のフィリパさんPhilippa Hawking(1947-)が弘前を訪問した1967/68年ころ、ホーキング博士は一般相対性理論と宇宙論の専攻で、応用数学・理論物理学の博士号を取得、そして彼の小論「特異点と時空の幾何学」により、その年の権威あるアダムズ賞を受賞しました。本当の偶然ですが、ホーキング博士が亡くなった翌月の2018年4月11日オックスフォード・シェルドン劇場で、このホームページを制作している私(佐々木 修)の編曲したワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(小オーケストラ版)上演されました。偶然にしては出来過ぎだと思いませんか?
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