ケツとゴク

佐々木 直亮

ケツ”といい、“ゴク”といわれて、その言葉のもつ意味がすぐぴんとわかる人は、今の日本にはいないのではなかろうか。
それがイギリスのお嬢さんの口からとび出した言葉であったから心にのこっているのである。
“ケツ”は血液の血、“ゴク”は牢獄の獄であった。

数年前、友人の某教授から電話があったことから話がはじまる。
「実は知人のイギリスの教授のお嬢さんが東京へ留学してきているのだが、日本の農村をみたいといっているので」というわけであった。
たしかにこのみちのくの弘前には昔の日本がある。近くに親戚の農家もある。わが家も人がとまれる位の余裕ができた。そこで、いつでもどうぞ、という返事になったのである。
ロンドンの大学で中国語の個人教授を受け、本当は中国へ行きたかったのだが、入れなくて、とりあえず日本へ来たというだけあって、日本での旅行に不自由はない。この弘前まで一人でのこのこやっできた。

弘前城へ案内したところ、宝物の刀にうすい影のあるのをみつけた彼女は、「これはケツか!」と問いただしたのである。あのロンドン塔のBloody Towerのことが頭をかすめたのかもしれない。

 
弘前城       こどもねぶた

髪があかく、ボインが大きすぎることをはずかしがっていた彼女ではあったが、タバコ片手にタイプをうち、小説の原稿を本国に送っていた。時に情熱的にピアノもひく。
車の窓から街はずれのマッチ箱のようにならんだ町営住宅をみて「あれはゴグか!」というのである。


「あなたに貰ったお菓子がとてもおいしかった。私の東京の友達もそれが好きだったから太る好機がありませんでした」と縦書きに日本字で手紙をくれ,「机下」とか「上様」と書いてきた。
今の日本人が日本を忘れ、ことばを忘れている中で、こんな外人が日本を見、思い出させてくれることになるのではなかろうか。

昭和47年8月「いづみ」に掲載。


このエッセイは私の父佐々木直亮の著した「衛生の旅1」に収録されています。ここに登場するイギリス人のお嬢さんが先のフィリパ・ホーキング(Philippa Hawking)さん、ホーキング博士の妹さんなのです。


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