言葉のもつ意味

 

 「ゼネコンはゼニコンだ」といえば「笑点」なみのお笑いだが、大新聞がいちようにゼネコン(大手総合建設会社)と括弧内に説明を入れていれば、総合はゼネラル、ではコンは多分コンストラクトのコンではないかと考えるのは自然だと思うが、実はコントラクトのコンであって、請負とか契約がもとになる言葉の略であって、英字新聞にはちゃんとコントラクトと書いてある。

 インフォ−ムド・コンセント(説明と同意)といつも括弧内に書いてあれば同じことをいっていると考えるのが一般的と思われるが、英語圏で云われている言葉と最近日本で云われるようになった言葉とはそう簡単には同じことをいっているとは思われない。「インフォ−ムド」には「と」という「アンド」の意味はない。

 今や日本語になった「サビ−ス」も英語でいう「サ−ビス」と同じことをいっているとは思われない。

 弘前の文化施設の「デネガ」は一見フランス風だが鳴海裕行君が津軽の言葉から名付けたとのことであるし、テレビの「β(ベ−タ−)」もちょっとハイカラではあるが「べったり」という録音方式から名付けたと云われている。

 青森で「ちゅうぎ」と云われていた言葉はこの地方にうまれた言葉ではなく、「不浄なものを拭う木のへら」としての「籌木」という仏教にある言葉とともに日本に伝えられた言葉と考えられる。

 日本で天然痘が流行していた時代から云われていた「あばたもえくぼ」の「あばた」も古代インド語に由来していると読んだ。

 そこへゆくと「衛生」については長与専斉が自ら「松香私志」に書き残しているからその出所は明らかである。

 「英米視察中醫師制度の調査に際し『サニタリ−』云々『ヘルス』云々の語は屡々耳聞する所にして別林に来てよりも『ゲズントハイツプレ−ゲ』等の語は幾度となく問答の間に現はれたり」と述べ、「醫制を起草せし折、原語を直譯して健康若くは保健なとの文字を用ひんとせしも露骨にして面白からす、別に妥當なる語はあらぬかと思めくらしゝに、風と荘子の庚桑楚篇に衛生といへる言あるを憶ひつき、本書の意味とは較々異なれとも字面高雅にして呼聲もあしからずとて遂にこれを健康保護の事務に適用したりけれは、こたひ改めて本局の名に充てられん事を申出て衛生局の稱はここに始めて定まりぬ。」

 長与専斉の記述によって当時「健康」「保健」が用いられていたことはわかり、その当時として「健康」「保健」は「ダサイ」言葉としてとらえており、「ナウイ」イメ−ジとして「衛生」をとりあげたことがうかがわれる。それ以来日本の衛生行政の中で長らく行われたことによって「衛生」の意味が理解されていったのであろう。私が50年前医学部卒業後「衛生」をやるといったら、親戚の者から「お前は水道屋をやるのか」といわれた。当時役所の中で衛生といえば水道のことであったし、街にはし尿処理の「衛生組合」があった。

 戦後新憲法に「公衆衛生」が登場したが、これはWHO誕生時の「健康の大憲章」の中の「ヘルス」をうけた「パブリック・ヘルス」が「公衆衛生」として通用するようになった。

 しかし数百年の歴史の中に育った「パブリック」の理解は難しく、とってつけたように「公衆衛生」といっても、公衆の公も東洋でいう「公」にはそれなりの意味があって、そう簡単には東と西の差はうまりそうもないと思う。

 緒方洪庵が「適適斉」と号し、その家塾を「適適斉塾」、または「適塾」と呼んだが、「適適」の出典については、洪庵自身の説明が見いだされぬ限り、確定的なことはいえないと云われている。

 その緒方塾に学んだ福沢諭吉が塾を「慶応義塾」と名づけたが「時の年号を取って」慶応とつけたまではわかっているが「義塾」の「義」にどのようなメッセ−ジがかくされていたのであろうか。今度塾長になった鳥居泰彦君は「そもそも中国の明の時代の、みんなで義援金を出して助け合い子弟を教育するという教育システムからきています。イギリスでいうと政府の世話にならず、民間人の力で運営していくパブリック・スク−ルに当ります」と説明していたが、義塾出身の身にとっては福沢先生がどんな気持から義塾と名づけたか本当のところを知りたいものである。もっとも義塾の運営に「生徒から毎月金を取るということも慶応義塾が創めた新案である」こと、また欧米主としてアメリカの教科書の「洋学」が中心であったことは明らかである。またそれが日本国中にひろがり、明治2年弘前藩から選ばれて慶応義塾に学んで帰った菊地九郎が東奥義塾を創設していることから、この津軽の弘前にまで影響を及ぼした足跡をたどることができる。

 時はめぐり時代は変わった。

 「公害研」が「環境研」になり、「公衆衛生課」から「健康推進課」になった。

 そして「健康は時代のキ−ワ−ド」(毎日新聞)といわれる時代になった。以前ダサイ言葉と意識されていた「健康」も新しいイメ−ジをもつようになったのか。

 女子大に「健康科学」の科目をつくり、青森県で「生き生き健康県民運動」を展開し、「健康句」という言葉を創ったりするのである。

 でも古くから「健」といい「康」という言葉があった中国で「健康」という概念が創られたのかどうかについてはまだ明らかではない。

 「ヤンキ−」という言葉が昔用いていた言葉とは全く違った言葉として通用していることが分かったのも若い女子大生と接している役得かもしれない。       

 言葉は生き物である。言葉はそれぞれの土地で生まれ、その言葉が活字になったとしても、そのもつ意味も時代とともに変わって行くものではないか。

(弘前市医師会報,233, 71-72, 平成6.2.15.)

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