満開の桜

 

 弘前公園の桜を見るとしたら朝がよい。

 夜桜の花見客が残していった酒の香はあるものの、すっかり清掃された公園の桜を見にくる人は、朝の公園のよさを知っている人たちである。

 また朝の7時から8時前の陽の光は、天守閣にあたる角度といい、きらきらと眩しい。

 人ひとりいない公園の満開の桜にかこまれたとき、ふと亡き父を思い、友を思い、胸にこみあげる思いをしたことがあった。

 94歳を前にこの世を去り、子孫のために美田を残さず、しかし子供の教育だけは十分受けさせ、母(カアサン)はよくしてくれた、兄弟なかよくしろ、とのみいいのこしていた父を送り、また友を送ったあとだったかもしれない。父のことなど思ったこともなかった自分が、満開の桜をみてこんなことを思うなんてと感じたものだった。

 父が90歳をすぎたいつだったか竹をふむと長生き出来ると聞いたとかいって竹ふみをやっていた。40歳そこそこでリユマチで足が痛く、歩いて通うのが嫌だとかいって会社をあっさりと辞めてしまい、インフレの中をよくここまで生きてきたのにまだ生きたいのかと思ったものだった。

 その父が亡くなったとき、明け方そばで寝ていた母が、冷たくなりかけていた父に気がついたものの、朝までじっとだいていましたという話を聞かされたとき涙がでた。

 母も94歳で亡くなった。インフルエンザがはやったときも、見舞いにかけつけた息子を前にして急に呼吸がおかしくなり、そのまま手の中で息を引き取るのではないかと思われたが、もちこたえた。

 死ぬまでぼけていなかったようだ。なにしろあすはお迎えがくるのではないかといって、下着一切きれいにしていたというから。

 その母は健康のためなどといわれるものは何もしていなかった。ただひたすら父につかえていた。だから父が献体をする手続きをとったときも何もいわずにそれに従った。

 大学の解剖学教室から、季節季節にお見舞いの毛布など送ってくると、早く来い来いといっていると笑っていた。

 (月刊健康,8−9,昭62.7.)

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