衛生学教室のアルバムから(その31)

                 

 「セピヤ色がよかったですね」と声がかかった。

 前回の衛生学教室のアルバムから(その30)のことである。

 平成9年10月16日第56回日本公衆衛生学会の会長招宴が未来都市ヨコハマのパンパシフィックホテル横浜で開かれたとき、本当に久しぶりに会った今度三崎保健福祉事務所長になり神奈川県保健所長会代表として出席していた宝田正志君(昭和36年卒7回生)からの最初の一言であった。彼は学生時代に秋田県の西目村(今は町)で血圧調査に参加してくれた人の一人である。

 40年近く前のできごとは「白黒」「セピヤ」であるが、今また新鮮な感じのする時代になった。

 写真1は40年以上前の衛生学教室の高血圧の疫学研究のはしりの時代の貴重な一こまである。

 

 写真1 弘前市狼の森保健館にて 昭30.1.4.

 東北地方住民の脳卒中ないし高血圧の予防の研究として地域住民の血圧を測定し始めたのは昭和29年からであるが、弘前市品川町で開業されていた鳴海康仲先生が開設していた「狼の森(オイノモリ)保健館」で、夏の調査に引き続いて行われた冬の調査の時の写真である。1月4日というのにもう調査にでかけている。

 夏と冬の血圧の比較が最初のテ−マであった。その結果は弘前医学(昭和30年)に報告した。

 狼の森の保健館はテレビドラマ「いのち」のモデルになったともいわれていて、公衆衛生の歴史上貴重な場所だが、われわれ又公衆衛生学教室が出来てからは中村正・臼谷三郎先生らの研究のフィ−ルドにもなったから覚えておられる方も多いだろう。

 中央に座っているのが高橋英次教授(平成8年12月13日亡くなられた)、立って説明しているのが武田壌寿助手(現名誉教授)、聴診器で血圧を測定しているのが伊藤弘助手(1回生、現南黒医師会長)、そしてシャッタ−をおしたのが佐々木直亮助教授というわけである。

 

  写真2はこれ又貴重な写真である。

写真2 三戸町猿辺地区農家にて 昭33.8.3.

 そして「現物」は県の郷土館にもない、私の「宝物」の一つである。

 「ちゅうぎ」の話を覚えているかな。

 又現物を見た方もおられるだろう。衛生学の講義に出席していれば。

 色々と話をする機会も多いのだが、必ず「ちゅうぎ」の現物を見せている。「これは何という名前で、何に使うのか」と。「コス島」の「ヒポクラテス」と「ハイジェイヤ」のスナップの写真と一緒に。

 日本での「医学」は「ヒポクラテス」からのながれとしての「蘭学事始」以来であるが、その前には「中華」「仏教」の影響を受けている。そのことを「ちゅうぎ」という言葉が東北の人々の生活の中で用いられていることで示し、言いたいのである。

 「ちゅうぎ」は「天竺の人が糞をふくときに使用していた籌木」であり、使用前は「浄籌」であり、使用後は「触籌」であって、いずれも仏教大辞典にある言葉である。

 「ふき」の葉を乾かして用いている人もいるという話から、「だから ふき というのですか」という「落ち」もついている。

 「明日の健康を求めて」と保健活動を展開したとき南部でスナップした一こまである。

 

 

 とかく話題になる「沖縄」であるが、平成8年10月「乱反射の会」(昭和38年卒9回生同窓会)がルネッサンスリゾ−トオキナワで開かれたときに呼ばれた。

 沖縄は私にとっては3回目だったが、今回も出迎えは知念正雄君であった。彼は以前は中部病院勤務であったが今は具志川市で小児科を開業している。可愛いお嬢さん(医師で独身とか)が会の世話をしていた。

 「沖縄と津軽」という題ですこし話をした。

 内容は「沖縄と津軽は遠く離れているようだけれど、極めて近いのだ」と。遺伝学的には1万年位前に分離したといわれているが、3,40年前多くの方々が弘前に来られたのだ。私も前に沖縄にきていれば、沖縄に住みついたかもしれないし、それほど面白い所などなどと。 

 初めて沖縄へ行ったのは沖縄博があった昭和50年9月で、厚生省の仕事で沖縄の島々を回った時だった。

 「竹富の朝はユンタの歌であけ」

 「紫にかがやく海の黒真珠」

 「人頭税という時の声にひびきあり」

 「Hiltonでステ−キを注文する同窓会」と書いたが、そのヒルトンでの歓迎会の写真3である。20年以上前の写真である。

 

 写真3 沖縄同窓会の人々と 昭50.9.3.

  左から「宮城 池村、城間、金城、宮良、佐々木、外間、知念、マネ−ジャ−」とアルバムに書き入れてあった。

 沖縄には同窓会の方が沢山いる。皆地域医療に頑張って。

 今回はこれらの諸君には知念君をのぞいて会えなかったが元気なことと思う。

 ただ驚いたことに「あのヒルトン」が山の上の「住む人もいないゴ−ストの建物」になっていたことであった。(9-12-17)

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