衛生学教室のアルバムから(その4)

写真1 弘前市十面沢にて 昭30.7.20

 昭和30年7月、弘前市政調査会からの依頼によって、裾野地区の住生活調査が行われた。高橋先生が班長で、亡くなった農学部の宮下先生や、寄生虫の北畠先生らと、住生活、寄生虫、水質検査、血圧測定などを行った。その時の一こまで、学生として参加した、田村、山中、芳賀の諸君が井戸の検査をしているところ、上からのぞいているのが武田助手、うしろ向きで聞き取りをしているのが高橋教授である。

写真2 衛生学教室にて 昭30.7.21.

 連日30度をこす暑さの中の調査であった。調査終了後一同教室でビ−ルで喉をうるおした。生ビ−ルの大瓶がならんでいる。前列右から高橋、佐々木、武田、伊藤、木村、高世、後列は田村、山中、土方、成田、土屋である。

写真3 大講堂にて 昭31.2.29.

 学友会主催の卒業生を送る会が大講堂で行われたときのものである。卒業生を中央に、3年生以下がとりかこむように座った。アルバムにわざわざサイダ−でないと書いてあるのをみると、立っている瓶はお酒のようである。 但し女性の方にはジュ−スと書いてある。

 昭和51年2月の卒業生を送る会は新しくできた医学部会館で行われた。

 

写真4 医学部大講堂にて 昭31.2.28.

 学友会の会は教授連は何かとしゃべらされるものだ。当時助教授であった私も顔を出して、後列に座った。すぐ前のうしろ姿は、右から高橋、杉山、佐藤煕、工藤先生方、立っているのは入野田先生である。今はなき大講堂になき先生方をしのんで。

写真5 弘前駅プラットホ−ムにて 昭31.5.30.

 高橋教授が東北大へ転任されることになって、弘前駅前に先生を送りにいった時のものである。右から片桐、佐藤煕、高橋先生夫妻、背の高さからみて佐藤光永先生であろう。槇、古賀、赤石と次々と転任されていった先生方の顔がみえる。このあとしばらくたった7月5日、教授会で、助教授であった私が教授に内定したと耳打ちをして下さった方がいた。

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