思い出のスナップショット

 

 この題は来る11月14/15日(平成10年)に開催される弘前市医師会の会員作品展へ出す予定の「写真」につけようかと考えているものである。

 「思い出」というのは、今からざっと30年前在外研究ということで1年間アメリカからヨ−ロッパを回ってきたときに撮った写真だからである。

 「スナップシット」といのは単に写真を撮ったというだけでなく、「写真」に対する「私の思い」が含まれている。

 今写真をコンピュ−タ−で見られるように「デ−タベ−ス化」しているのだが、中学生時代から今までの私の撮った昔の写真を眺め直してみると、撮り方に時代的推移が見られる。

 昭和59年弘前で日本民族衛生学会が開催されたときの記念に「人々と生活と」という「写真集」を作ったのだが、その「はしがき」に「衛生学者としての私には、そのイメ−ジに何かを(この場合は脳卒中や高血圧予防研究の為にということを)意識してシャッタ−をおしたので」と書いている。

 30年前はじめて外国旅行をしたときあたりから、私の写真の作風は「物を客観的にみる、そして人間をいれる」に変わっているような気がする。外国であまり知った人のいない生活に入ったためなのか。

 とくに近頃思うのだが、人や人々の姿の一瞬一瞬を切り取るという、「ハイ・ポ−ズといわないで」という写真に心がひかれる。

 その意味からいって今までどうしても撮れないのが「人がアクビをしている風景」である。今まで何回となくそのシ−ンをみたのだが。

 30年前、ちょうど「オリンパス・ペン」の「ズ−ム」がでてきた。半裁でダブルにとれるし、軽いし、これは外国旅行には使えそうだと考えた。

 あまりテストする時間もなく、ポジ・カラ−一本64枚で撮りまくってきた。

 教室からさくらカラ−フイルムを送ってもらい、現像も送りかえしてやってもらった。なにしろ1ドル360円の時代で手持ちのお金がなかったので「公費」を使わせてもらった。

 従って写真の出来映えの結果もみることなく、一年経過して帰国したあと見た。

 しぼり露出シャッタスピ−ドなど私の「カンピュウ−タ」もよくあたって、あまり失敗もなかった。教室で整理してもらったスライドの番号は出発から帰国まで「8743」枚になった。抄読会で一年間、その後講義などに使わせていただいた。

その中の4枚を医師会員作品展に出品した。

その他 少し追加してみた。

 

サンフランシスコにて

 ケ−ブルカ−にのって終点の丘についた時だった。黄色いセ−タ−を着た女の子が目に入った。あとで考えてみたらモデルさんの撮影の時だったか。

 

ミネソタ大学にて

 秋になって大学祭が行われた。それも国際色豊かな。

 大学の図書館前での一瞬である。

大学祭はにぎやかなものだった

パリにて

 

凱旋門の屋上にのぼったら 危険防止の柵がなかった

地下鉄のドア−も走っている時も 自由に明けられた

これもフランス風だなと思った

 マロニエの葉のしげる公園を歩いていたら、人だかりしているところがあった。TVのロケの最中であった。

 色の黒い東洋人が出番を待っていた。よく見ると「岸恵子さん」であった。ポ−ズをとったところで横からスナップした。

ロ−マにて

 コロシアムを見物しているときだった。

 このショットを撮ったとき、「イングリッド・バ−グマン」を思い出した。

街に 面白く頭を刈った僧が 歩いていた

もとへもどる