「軍医」「医師」のこと

 

  久しぶりに衛星放送の映画で「戦場にかける橋」を見た。1958年作とあったから、かれこれ40年も前の作品である。

 若き日のウイリヤム・ホ−ルデンやアメリカで名をなした早川雪舟などの顔は懐かしかったが、今度見た映画の中で私にとって「興味」がひかれたのは、イギリス(?)の軍医さん達のとった行動であった。

 誇り高き捕虜達が自ら建設に努力して完成したクワイ河(River Kwai)に架かる橋の上を、今や爆破されるとも知らず足音高くわたっていったあのラストシ−ンの時に、軍医達のとった行動であった。

 映画では軍医達は皆と一緒には橋をわたらずにこちら側の土手のほうにあゆみよって、あの皆がわたる風景を「ななめに」見ていたのである。その「シ−ン」に「興味」がひかれたのである。

 「昭和18年9月の早慶卒業式」に書いたように私は「海軍軍医」になった。

 海軍は「ネ−ビ−」といわれていたが、あとで英語の履歴書を書くときわかったのだけれど「海軍軍医」は「Naval Surgeon」であった。軍医は「外科医」なのである。

 私も潜水艦にでものって盲腸炎の手当などしなければならないときはどうしたらよいか考えたことがあった。

 「アッペ」の手術の「ハウプト」を、皆出征していってしまって人手がもう少なくなった時代であったのであろう、勉強にいった病院で学生時代にやらせて戴いた経験もあったので、他人の病気はなんとかなると思っていたが、自分が病気になったらどうするか。兄が盲腸炎で苦しんでいた姿をみて、卒業前に今ならそんなことはやるはずもないと思うのだが、当時手術の傷跡が小さくて評判であった「教授」に「normal」の手術でやって戴いたことが思い出される。

 イギリス海軍がなぜ勝利をおさめ世界を制覇していったかの歴史の中に「オレンジとレモンの効果」の話もあるが(りんごと健康、p48)、もう少し昔の「海賊」横行時代、地中海の島に「外科」の腕のたしかな人がいるという話から、彼らを「略奪」して船にのせ「鄭重」に処遇をしてその「技」をふるってもらったという話があるということだ。それなるが故に「Naval Surgeon」だというのは分かる気がする。

 イギリス海軍では貴族出身の「甲板士官」と平民出身の「かまたき機関の士官」は指揮権からなにから違ったが、貴族と平民の区別のない日本では「江田島」と「舞鶴」とではうまくいかなかったようだった。日本海軍軍医も上は「中将」どまりであって「指揮権」はもたぬものときめられていた。そのことを海軍軍医になろうしたしたとき知らされたことは前に書いた。(医師会報,243)

 佐藤光永先生のあと看護学院での医学概論の講義を依頼されているので、医学の歴史を振り返り、「医」とは「医学」とは「医師」とはなどと考える機会がある。

「ヒポクラテスについて知れることを記せ」とはいつも出す問題の一つだが、ゲ−テにも影響を与えたヒポクラテスは「健康と病気を自然の現象とし、これを科学的に観察し、我々の身体には健康に復そうとする自然の力Physisがあり、医師はそれを助けるのが任務である」と主張したといわれる。(藤森速水)

 また「ヒポクラテスもまた、病気になった体は自然の力を呼び入れ、平衡の乱れを直して再び健康をつくりあげる傾向のあることを信じた。したがって医師は、適当な食養生と少数の治療薬の助けを使って患者の自然によく合致した環境と生活法をあたえることにより、この自然の治癒力(via medicine naturae)を利用すればよい。「医師」ということばは、自然を意味するギリシャ語に由来するが、医術にたずさわる者は「自然をよく心得、人間と食物、飲物、職業が関係する状態、さらにはこれらがお互いにどんな影響を及ぼし合っているかを知るために、努力しなければならない」(Rene Dubos・田多井訳)という。

 だから杉田玄白が「医事不如自然」と書き、それに福沢先生が「医師よ、自然の家来に過ぎないなどと言うてくれるな」と「書」に書いた話は前に紹介した。(医師会報,212)

 ところが「日本百年」であり「言葉・文字 そしてその意味」である。

 「自然」は漢字であり、中国伝来である。それがどのように我が国で理解されているか。

 「physis」と「自然」は同じ概念なのであろうか。

 日本語の「自然」は中国の古典(老子)に由来し、その意味は「人為の加わらない義」で「無為自然」である。だから日本でも「ひとりでになるさま、おのずから」の意味で用いられる。また仏教では「じぜん」とよまれ、ほぼ同様の意味であるといわれる。したがって「人為」にあらずという意味である。安藤昌益の「自然真営道」も「自然とは自(ひと)り為(す)る」であった。

 こうした江戸期の「自然」のなかにヨ−ロッパから「natura」の概念がはいって、明治を迎えるのである。このときわれわれの先輩はどうしたか。

 ギリシャ語の「physis」(ヒユシス)のラテン語翻訳が「natura」(ナ−トウ−ラ)、そして英語の「nature」(ネエチア−)になるのである。 ギリシャ語の「physis」は「出てくる、つくられる],「natura」は「生まれる、生ずる」という意味で、「自然」を 畏れ崇拝した古代にとって「自然」の最も驚嘆すべき力は「産み出す力」であり、natureの本質は「産み出す」ことであった。ソクラテス・アリストテレスらの時代、もの自体が潜在的に含んでいる力が十分に発揮される状態をnatureと考え、こうしたもの「そのもの」が有する性質・本質がnatureおよびそれに相当する西洋諸語が共通にもっている根本語義である、と「自然」の「コンセプト」に解説されている。

 ところがその時代のギリシャ語「techne」の概念が世の中に混乱をおこしているようである。

 アリストテレスが使った「techne」(テクネ)はラテン語の「ars」になり、英語の「art」(ア−ト)になった。それが今の日本では「ア−ト」は「技術」ではなく「芸術」であると考えられている。

 「その結果(art of medicine)と(science of medicine)と呼ばれるものとを区別するようになっている。ひいては知識はあまりないが直感でもって患者を助けることのできる心暖かい臨床医と、検査と道具を使う冷たくよそよそしい人物という矛盾したイメ−ジが生まれてくる」

 これは「ラテン語のarsをscienceと言ってもよい」「古代には医学はいわゆる手仕事と全く同じであった」「実際の経験しかない人(the empiric:やぶ医者という訳もある)」「数多くの経験についての考察から、類似のものについての一個の普遍的な判断が作られる。抽象し一般化するとき、また普遍的な規則と判断を扱うとき、テクネに従事しているのである」

 そして「彼らは物事のあるがままの性質をフィジス(physis)と表現した。医師(physician)は経験から学ぶが同時に原因についての知識を求める。自分の五感だけでなく、physisを理解するために理性の目を用いなければならない」とはレスタ−・キングの「医学思想の源流」にあった解説である。

 「医師の歴史」(布施昌一)の「方技思想の流れ」の中で、「もっともギリシャでは医業は市民の自由な職業であったが、同時代の名医ヒポクラテスが医術は技術テクネ-の中でももっとも高尚なものであるのに、はるか下位の技術とされているとのべた」とあった。

 しかしこのような「techne」をもったギリシャ人も、後日ロ−マでは「奴隷」として「美人奴隷」とならんで売り買いされている場面が映画「クレオパトラ」にあったことが思い出される。

 現代の「医師」はどうなのであろうか。

 映画にあった「シ−ン」から一文を書いてみた。(9-3-12)

           (弘前市医師会報,252,46-47,平成9.3.15.)  

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