青森県の脳卒中

 大学の図書館で「医療と社会」(17号,2000)を見ていたら、去日行われた第32回のセミナ−例会((20世紀の医療及び医学の回顧と反省)の記録が掲載されていた。

企画者としての品川信良名誉教授の言葉のほか話題提供者の記録がのっていた。

興味ある問題であったので読んでみたら、元青森県医師会長の対馬秀雄先生の「戦後医療雑感」の記録の中で、ちょっと気になったことがあったので、今回はそのことを書き留めておく。

何が気になったかというと、「c.青森県医師会の動き」の中の「脳卒中患者実態調査」のところである。「県医師会単独で昭和55年より実施した。青森県に脳卒中患者が何人いるのか、当時全く不明であった」とあった。

当時脳卒中の状況は全く不明であったのであろうか。

分析・検討・総括された水野成徳教授が知らないはずはない。

「当時全く不明であった」とは予算をとるための手段であったのであろうか。

昭和62年9月2-3日、青森市において青森県・青森市・日本心臓財団・日循協主催で、当時の青森県環境保健部長であった大高道也先生の音頭とりで「青森カンファレンス(地域における脳卒中・心臓病等の予防・治療・リハビリテ−ション会議、1987)が行われ、その報告書(Proceedings of Aomori Conference)が昭和63年にでている。

その中で追補として「青森県における脳卒中予防の疫学的研究」として青森県での昭和16年近藤正二先生以来の歩みを記録することができたが、それをみると青森県にはそれなりの歩みがあることが分かると思う。

今回はその記録を再録することにする。

青森県における脳卒中予防の疫学的研究

 

 1 はじめに

 青森県には、古くから人々の間に「あだり」といわれていた病気があった。その病気は発作のおこりかた、病状からみて、わが国で中風・中気あるいはそれぞれの土地の言葉でいわれていた脳血管疾患による疾病と理解されるが、一般には運命的な病気と考えられ、発作があれば、医師が往診し、治療の要請もあったが、その多くは自然の死を迎えるだけであり、その疾病の自然史はわからず、従って、その疾病の予防など全く考えられていなかった。

 

 2 脳卒中の疫学調査のはじまり

 昭和16年にわが国で「脳溢血」についての総合的、系統的な予防研究が始まったとき、近藤正二らはその成因に関する衛生学的研究を行い、脳溢血予防対策に資せんとした。当時は脳溢血の成因に関しては遺伝素質の関与が考えられたが、なお素因を作るのに関与する外因としては飲酒が重視されていた位で、その他については殆ど知られていなかった。近藤は人口動態統計上脳卒中の死亡率をみると、国内で地域差があるが、東北地方では死亡率が高いというだけでなく、若壮年層に死亡率が高いという特徴があることを述べ、また同時に、実地にみたそれらの村の人々の生活の差から、米の大食およびそれに伴う食塩の過食など食生活にみられる特徴との関連について述べている。全国各地を調査した際、青森県内でも調査を行っているが、これらの研究は脳卒中予防のための疫学研究のはしりであり、ここで得られた成果は疫学的研究のうちの記述的疫学研究の成果であると考えられる。

 

 3 高血圧の疫学調査のはじまり

 昭和29年、弘前大学医学部衛生学教室では、脳卒中と高血圧の疫学的研究を開始した。青森県・秋田県内の各地において、死亡率の調査だけでなく、人々の生活全般にわたる調査をし、また、当時脳卒中と関連があると考えられていた血圧の測定を、小中学生から老人にいたるまでの一般住民を対象に行い、食生活との関連においては食習慣の調査のほか、ビタミンCや炎光分析による尿中Na, Kの測定を行った。

 それらの結果、日本の東北地方に特に脳卒中死亡が若い中年期から多く、高血圧があり、死亡率や血圧が冬高く、夏低いという季節変動を繰り返しているのは、一般の人々の住生活の温度環境が不備であることが関連し、住生活の改善に脳卒中予防の手がかりあることを指摘した。また、食生活上の特徴としてみられた食塩過剰摂取に脳卒中や高血圧の疾病発生論的意義があるのではないか、また、青森県内に多く生産されるりんごを日常食することが、これらの疾病の予防に効果があるのではないかという点を指摘した。これらは横断的疫学研究の成果と考えられる。

 これらの成果はそれぞれ専門学会に報告され、論文として公表されたが、一般地域社会へも、新聞・TV・ラジオ・講演会を通じ知らされた。

 昭和36年、わが国において脳卒中のリハビリテ−ションの必要が叫ばれるようになったが、われわれは疫学的研究の成果から、脳卒中の予防の手がかりがあるのではないかということを述べた。

 日本における脳卒中の死亡状況が国際的に関心がもたれる時代になって、死亡診断書にみられる脳卒中死亡の病型としての内容が、日本では脳出血に偏っている特徴があることに国際的な批判が高まる中で、病理学的検討が九州大学を中心に行われた。昭和37年、いわゆる冲中分類による臨床医学的診断の統一が検討され、それにもとづいた疾病の発作発来を中心に疫学的に接近するという患者調査が行われるようになり、日本各地での実態が明らかにされ、青森県内でも調査が行われた。

 

 4 追跡的疫学研究とその成果

 昭和30年のはじめに青森県・秋田県内においては、横断的疫学研究で調査された町村の中の数地域では、その後約20年にわたって同一住民の血圧や死亡状況や生活状況の追跡調査が行われた。それらの結果、住民の血圧は医療を含めたもろもろの生活に左右され推移していること、血圧は脳卒中発作発来や死亡の危険因子の一つであることが明らかになった。すなわち血圧水準や加齢による血圧の推移は個人によって異なるが、血圧水準が最高血圧120mmHg、最低血圧70mmHg付近を保っていることが、生命予後がもっとも良く、それより10mmHg上昇するごとに脳卒中死亡の危険が高まることを認めた。また、青森県内の同一集団で、日常食塩摂取量としての尿中食塩排泄量が、20年前一人一日当たり17gから11gに減少し、この間同一人の血圧には加齢による上昇が認められなかったことなどを報告した。さらに、りんごを毎日食べるという食習慣のある者は、他に比べて血圧が安定して推移していることを認めた。

 これらは、縦断的疫学研究の成果であるが、研究の途中でも「冬はあたたかく暮らす工夫をすること、食塩摂取を少なくするように食生活を改善すること」を中心に保健活動として地域で展開されたし、また、国全体としても、「食生活の流通体系を塩蔵から冷蔵へ」の勧告が行われたこともあり、一部介入的疫学研究の成果であるとも考えられる。

 最近の研究によって、食塩の過剰摂取の状況とか一般住民の血圧状況は、時代とともに改善されていることが把握されているが、日本のなかで、古くから根付いた食習慣は一朝一夕には変化せず、東北地方住民の食塩過剰摂取の状況は成人のみならず小児の食生活にもあることが認められている。

 

 5 脳卒中と高血圧の予防について

 このように脳卒中の予防に向けられた疫学的研究によって、脳卒中の自然史が一部明らかにされ、予防の手だてが与えられたと考えられる。そして、医学的には脳卒中になる前の健康状況としての高血圧の成因に研究の目が向けられるようになった。現在までに疫学的研究によって得られた成果は、青森県においては行政的に、また保健教育上に、そして地域社会に還元されてきたと考えられる。

 青森県の脳卒中の死亡状況をみると、70歳までの働き盛りの年齢で、脳卒中によって失われる生命が少なくなっていることが、人口動態統計の数値によって計算されるlife lostの推移によって示されている。また、脳卒中の死亡率を出生コホ−ト別にみると、加齢による死亡率の上昇には若い出生コホ−トほど低下しているという変化があることが認められる。また、青森県内の一農村で過去30年にわたって疫学的に観察された、脳卒中の死亡率と罹患率の推移を病型別にみると、死亡や罹患の状況が変貌していることが認められている。

 しかし、若くして死亡しなかった者も老齢になったときには多く循環器疾患によって死亡することがあるし、脳出血から脳梗塞への病型の変化も観察され、昔のように脳卒中の発作発来のあと早期に死亡する者が少なくなっているので、人口の老齢化とともに脳卒中の患者の絶対数は増加することが推測される。この実態は、県および県医師会の最近の調査でも明らかにされており、それら患者のもつ医療上の問題が解決されたわけではない。しかし、脳卒中予防についての疫学的研究によって、若く働き盛りの人々が脳卒中で死亡することを少なくするという目標の一つは達成されつつあると思われる。

 

  (青森県他:青森カンファレンス報告書:地域における脳卒中・心臓病等の予防・治療・リハビリテ−ション会議 Proceeding of Aomori Conference、1987、p112-117)

この報告書には昭和16年から昭和62年までの「青森県における脳卒中予防の疫学的研究のあゆみと関連事項一覧」が示されており、青森県医師会としての事業としては昭和55年の実態調査は初めてのことであったが、弘前大学を中心とした調査・研究が行われてきていたことは忘れてはならないことだと思う。

青森県医師会報(451号,平成12年7月)によると公衆衛生三田禮造教授の視点として「脳卒中登録の更なる推進を」が述べられている。

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