東医体スキ−優勝のこと

 

 昭和37年(1962年)1月大鰐スキ−場で行われた第3回東日本医学生スキ−大会で優勝したことは、弘前大学医学部スキ−部にとっては忘れられないできごとである。

その時の記念のアルバムがあった。

今回はその中の数枚を紹介しようと思う。一部私の撮ったものもあるが大部分係りのカメラマンが撮って引き伸ばしアルバムにはってくれたものである。

 当時医学部のスキ−部長は解剖の照井精任教授で、整形東野修治教授、公衆衛生中村正教授と私が顧問であった。

 スキ−部としては主将小熊士郎君(9回生)で同級の加地浩君や一年上(8回生)の相沢健君らが活躍していた時代であった。照井先生の関係で弘前スキ−クラブの方々に応援してもらった。大会運営は全面的に学友会の諸君がやっていた。

 前日医学部玄関から「東医体医学生スキ−大会」の旗を先頭に出発し弘前市内を行進した。そのときのスナップがあった。よく見ると棹もちは鈴木昭太郎君(15回生)のようである。

そしてその夜テレビ放映もあった。

           

 

役員照井教授ら

その日の夜のTVにでたのを写真にとった記憶がある

 

 大鰐スキ−場にて あさの体操

伊藤・佐々木・加地ら

中村・照井教授

 

タイムを計る人

弘前スキ−クラブの方々に手伝ってもらった 竹内さん伊藤さんの顔がみえる

大会運営は学友会の皆がそうででやった

佐藤 水木 伊藤君ら

松谷君か            

鈴木・仲屋君か       柘植君か                      

                                 加地・秦・相沢・小熊

加地君

     小熊士郎君    加地浩君       加地浩・相沢健君

        

弘大医学部が優勝して

 

照井教授挨拶      

カップ・カップ・カップ

皆で記念の写真をとった

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