「日本心臓財団」覚書

 

 「日本心臓財団」が創立30周年を迎えるという。記念誌に寄稿をということであった。

 1000字程度ということでまとめて「私と日本心臓財団」と題してE-mailで原稿を送ったが、ここではそれに少し追加して「覚書」とする。

 

 「私が高橋英次教授のあと弘前大学教授(医学部衛生学)に昇任したのは昭和31年であった。それ以後61年の停年まで「東北地方住民の脳卒中ないし高血圧の予防についての疫学的研究」を展開したが、昭和31年という年は厚生省が「成人病予防対策協議連絡会」を設置した年でもあった。」

 「文部省の在外研究ということでアメリカ・ミネソタ大学に滞在していた昭和40年に社団法人日本循環器管理研究協議会が誕生したが、帰国後その会の理事に推薦された。」

 「昭和45年になって「財団法人日本心臓財団」が発足するという。欧米の様子を少しは承知していたので、「財団設立賛成人」の中に名前を書かせて戴いた。それがあったのであろう「評議員」として依頼があった。」

 「その「日本心臓財団」が早や30年を迎えるという。」

 「財団として経済界一流の方々が名前をつらねておられたので、これで「お金」の心配はしなくてすむと思った。「資産から生ずる果実」に苦労されている姿もはたから拝見していた。実際研究の補助を戴いたり、学会の補助もして戴いたことは有り難かった。心残りをあえていえば事業本来の目的にそった「予防」にもっと「お金」を廻すべきではなかったかと思うことがあるが、そんな発言をあまり強く言わなかった自分をせめるばかりである。」

 厚生省が今「生活習慣病」を提唱したことについては前に書いた。昭和31年に「成人病」と言い出したことについてはそれなりの時代背景があると思うがそのことと関わりがあった山形操六君のことは先に書いた。

 「難病」を言い出した時、「脳卒中」は難病ではないかと厚生省の若き技官(A氏)に意見をのべたことがあったが、彼の答えは「数が多すぎる」とのことであった。

 癌対策に比べて循環器疾患に対して予算の配分が少ないことを感じていたが、「日本循環器疾患管理研究協議会」(日循協)ははじめ財団を目指したが社団法人として発足することになった。発足にさいしては私が在外研究で留守していたので武田助教授に上京してもらった。

 一流の財界人とは「経団連」のメンバ−のことで、彼らに働きかけたいきさつについては承知していない。だだ日本経済界の一流であったことには間違いない。おそれ多くちかずき難い方々ではあるが、私にとってはからその方々の若い時の話を聞いていたので、身近に感じていたことはたしかだ。医学界の方は若く「現役」の方が名前をつらね、今もその方針のようであるが、財界人の方は功なり名を遂げた方々の会長とか社長の方々が名を連ねていた。財団」への寄付金は免税になり、試験研究法人の認可が得られた。

 財団が昭和45年に発足した時の式典には出席出来ず、ホワイト先生の記念講演は聞き損なった。ホワイト先生の「長生きへの道・5つの教え」「大統領からくじらまで」については前に書いた。

「脳卒中・心臓病予防のための講演会」を開くことになり、昭和45年12月朝日講堂で美甘義夫先生や勝木司馬之助先生と一緒に私も「高血圧と食塩」を講演する機会があった。 丁度1970年9月ロンドンで開催された第6回世界心臓学会の円卓会議にこのテ−マで私に指名があって参加して喋ったきたばかりであった。

 その世界心臓学会を日本でということも、財団での大きな事業になった。1978年第8回は東京でということになった。私もお手伝いすることになった。美甘先生を知る機会になり、青森・恐山にご案内したことも思い出されるが、これは「追悼集」に書いた。

 丁度日循協で「自動血圧計の検討」が始まって私がその纏め役になったが、東京海上火災寄付による研究助成ということで「血圧情報の客観化と効率化に関する研究」の代表者として戴いた。

 「全国予防講演会」を青森でお願いしたこともあり、「健康ハ−ト」講演会で講演したこともあった。

 「日循協」の会は一心同体でいつも援助していただいたし、大池弥三郎先生らの努力で出来上がった「日本脳卒中学会」も日本心臓財団の関連学会で援助していただいた。

 「事務所は丸の内で東京駅の近くだったので、上京するたびに顔をだすようにしていたが、木谷さんや浜西さんに会うことが楽しみだったかもしれない。」

 「事務総長の吉岡さんに昼飯をよく御馳走になった。日本医師会長の武見先生がはじめはなかなか「うん」と云わなかったが、あとよく協力して戴いたという話を聞いたことがある。吉岡さんは自ら「レイマン」といっていたが、昭和50年だったか国際会議に発表するとかの「Activity of the Japan Heart Foundation-Fund Raising and Its Philosophy」のドラフトをみせて戴いたことがあった。吉岡さんらしく「the most important basic element of the Foundation's activities is a sence of the humanity」といい、「non-govermental」「non-profit organization」と「philanthropic」を強調し、「Schweitzer博士と渋沢栄一氏」をあげて述べているペ−パ−であった。この精神はまだ続き、今後も続いてゆくことを期待している。」(2000518)

(弘前市医師会報,272,72−74,平成12.8.15.)

(一部掲載 ハ−トねんぷ30 日本心臓財団30周年記録 113, 2001.2.1.)

もとへもどる