モーツァルテウム音楽大学旧校舎

国際モーツァルテウム財団


Digentenklasse

モーツァルテウム音楽大学指揮科卒業証書(最優秀)mit Auszeichnung
Diplom


私はモーツァルテウム音大の指揮科に1977年から82年まで学び、その後84年まで指揮科の非常勤講師(Lehrbeauftrag)として、音大(ホッホシューレ)オーケストラの指揮者として在籍しました。
当時の指揮科の教授はゲルハルト・ヴィンベルガーとベルンハルト・コンツでした。
ヴィンベルガー教授は指揮者としては、ザルツブルグ音楽祭のモーツァルトマチネなどをよく指揮していましたが、彼はそれよりも作曲家として高名で、ザルツブルグ音楽祭でカラヤン指揮のベルリンフィルで自作を初演するなど、かなりの活躍をしていました。
またコンツ教授はドイツの劇場のたたき上げの指揮者で、ドイツのビーレフェールドの音楽監督を引退した後、モーツァルテウムで客員教授として数年間教鞭をとりました。カラヤンの数少ない友人の一人で、 カラヤンの本音を聞くことが出来ました。


モーツァルテウムでの思い出をいくつかご紹介したいのですが。
まずみなさんに指揮科の授業で、私が考える大前提ですが・・指揮は教えられない!ということです。

確かに指揮の授業は日本でもそうであるように、ピアノを2台ならべてその前で指揮をするのですが、最初の日本との違いは、ヨーロッパの指揮科ではどこでも自分たちでピアノを弾くことです。
日本の場合はその道のプロ、もしくはピアノ科の学生が弾くことが多いのですが、私の経験からすると、よっぽどオーケストラを良く知っている、アンサンブルを良く知っている、もっと言えば音楽的なピアニストでなければ、自分たちで弾く方がいいと思います。また一般的に、日本の指揮レッスンのピアニストは指揮棒だけを見すぎます。その指揮者の音楽全体(もちろん指揮棒もふくまれる)をもっと見れるとよいかと思います。


最初のレッスン・・出来ません・・

さてそのモーツァルテウムの最初の指揮のレッスン・・ 6人の同級生、内訳はオーストリア2人、ドイツ、アメリカ、トルコ、日本各1人、合計6名でしたが、本当に片言のドイツ語しかわからない私の前で15分ほど話がつづいた後・・
ヴィンベルガー教授がピアノの前に立ち、片手で4小節ほどの新しいメロディーを弾きました。それから各人がそのテーマを使って5分ほどの即興演奏がはじまったのです・・
あっけにとられる私の前で、同級生がみごとに演奏します・・私の番になりました・・Ich kann nicht! 出来ません・・
私以外の生徒が演奏した後、今度はヴィンベルガー教授が弾きました・・見事です・・ああ!!とんでもないところへ来てしまった・・


ドイツの劇場のスタートはピアノ

ここでドイツ、オーストリアの指揮科の現実をお伝えすると。指揮科を卒業した学生はコレペティトーアとして、劇場の練習ピアニストとしてまずキャリアをスタートします。そこで2〜3年するとちょっと指揮も出来ることになり、さらに才能とチャンスをつかんでいくのが一番オーソドックスな道です。
つまりピアノが弾けないと最初のスタートが切れないのです。最近はやはりコンクール上がりの人もいますが、ピアノを前にスコアーを弾く、歌い手にレッスンする・・というのは基本中の基本です。サバリシュがやっている・・あれです。
作曲家はピアノを弾いて作曲し、スコアーにする。だからスコアーを弾くことは作曲家が聞いた音を自分で聞ける。作曲家と対話出来る・・なかなか説得力のある言葉でした。



私がヨーロパで習った唯一の指揮のテクニックをご紹介すると。
「小節の頭は上から下へ振る!」

オペラのオーケストラは、いろいろなテンポやフェルマータがある楽譜を数えなければならない、指揮者がやる一番の仕事はどこの小節かオケに知らせること・・



モーツァルトに挑戦

オーケストレーションの授業で、指揮科と作曲家の学生が出された課題は・・
モーツァルトのセレナーデ第10番KV361「13管楽器のためのセレナーデ」の編成(2Ob,2KlinB,2-Basseto Horn in F, 4Hr,2Fg,Kb)でB-Durのアコードを各人がいちばんいい響きがするように書きなさい!
もちろんモーツァルトのスコアーを見ないで、モーツァルトよりいい響きがするようにトライするのです。
みんなで、わいわい、がやがや・・そんなのたいしたことないよ・・でも、いろいろできるね・・
30分後教授が再び現れ、一同興味津々モーツァルトが書いたスコアーを開けました・・
が〜〜ん!!!そこにかかれていた音、たかがB-Durの和音、その組み合わせは正に神の啓示でした。そしてその次の音も・・・
一同モーツァルトの前にひれ伏しました。


モーツァルトのピアノにはペダルがない??

モーツァルトの使用した1780ウィーン、アントン・ワルター製のピアノ。日本でモーツァルトを習ったとき・・モーツァルトはペダルを使ってはいけない!ルバートをしてはいけない!歌いすぎてはいけない!・・いけない!いけない・・・
ザルツブルグで私が弾いたモーツァルトのピアノには、確かに足踏みペダルはありませんでした。しかし鍵盤の裏、膝が当たるところに膝ペダルがあるではないか!!膝を高くするために台を使用する。
美しい音楽が欲しいときだめなことは一つもない!!・・あのベートーヴェンがいった言葉です。


リヒャルト・シュトラウスの弾いた音

ヴィンベルガー教授が若い頃、リヒャルト・シュトラウスの指揮するモーツァルトのドン・ジョバンニの副指揮をしていたとき・・
リヒャルト・シュトラウスはチェンバロを弾きながら指揮をしていたが、彼が弾いたチェンバロの音には、シュトラウスのばらの騎士の響きが巧妙に隠されていた・・また、そのおしゃれなこと・・あの音はもう聞けない・・。ヴィンベルガー教授の顔を見ているだけで、どれほどシュトラウスが感激的なチェンバロを弾いたかがわかりました。
フルトヴェングラーが町を歩いてくる姿は、彼の指揮ぶり(背中を反らし、体をゆらす・・)と同じだった。また指揮者のフルトヴェングラーさん!とよばれると、作曲家のフルトヴェングラーです!と答えた。

モーツァルトと一緒に演奏した人

モーツァルトの自筆譜を前に討論しているとき・・教授が語り始めました・・

この曲をモーツァルトが初演したとき、ヴァイオリンの一番後ろの席に、18歳の若者がいたそうな・・・

それから50年後、その奏者が68歳になり、再びこの曲を演奏した際・・・

若い指揮者が「モーツァルトはここにフォルテと書いているから、ちゃんと守って下さい!」といったそうな・・・
そこでこの68歳の奏者は「わしがこの曲を50年前演奏したとき、なんとあのモーツァルトと一緒に演奏した・・モーツァルトはそのフォルテはディミニエンドして・・といったぞ!!」
一同感激・・その時、ヴァイオリンの一番後ろに18歳の若者が座っていた・・・

それからまた50年後・・つまり初演から100年後、ふたたび若い指揮者が「フォルテ・・」
「わたしが今から50年前にこの曲を演奏した際、隣に座っていた68歳の人は、なんとあのモーツァルトと一緒に演奏して・・・その人が言うには・・ディミニエンドして・・」
そのときとなりに・・・・
これが4〜5回で現在だよ!

つまりウィーンフィルのモーツァルトを聞けば、モーツァルトが一番よくわかるんだよ!!!


1904年のウイーンフィルのプログラム

モーツァルテウム音大の図書館で借りた楽譜に挟まっていた1904年のウィーンフィルの定期演奏会のプログラム。曲はベートーヴェンのミサソレムニス、指揮はマーラーと同じ頃活躍したフェルディナンド・レーベ。
失敬したのはもう時効かな?許してもらおう!でも確かに歴史を感じました。


ブラームスの友達の友達!

同級生のミヒャエル・ワルターの家に遊びに行ったとき・・当時90歳を越えるおばあちゃんを紹介された。彼女はウィーンの音楽家の家に育ち、子供の頃なんとあのブラームス(1897年没)がよく遊びに来て、ピアノを弾いてくれた!!
思わずおばあちゃんの手を握りしめ・・それじゃ僕はブラームスの友達の友達なんだ・・そしてみなさんは友達の友達の友達です。
その時以来、私は作曲家を神棚に奉ることをやめました。
その代わり、直接語り合うことにしています。だって、友達の友達なんだから・・


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