セルジュ・チェリビダッケ

1912年イアシ(ルーマニア)〜96年パリ。ルーマニア生まれの指揮者。1939〜45年ベルリン音楽大学で学ぶ。1945〜52年ベルリンフィルの主席指揮者をつとめるが、フルトヴェングラー亡き後ベルリンフィルの後継者争いでカラヤンに破れる。
以後デンマーク放送響、フランス国立管、シュトゥトガルト放送響、ロンドン響などを指揮。1979年より96年に亡くなるまで、ミュンヘンフィルの音楽監督をつとめる。完璧主義者として知られ、録音嫌いとしても有名。



私がこの巨匠の名前を初めて耳にしたのは、1977年ザルツブルグのモーツァルテウム音大の夏期講習会で、オットマール・スイトナーの指揮科を受講していたときです。
とにかくすごい人がいる、音楽に神がいるとしたら正にこのチェリビダッケだ!その講習会に参加していた若者の中にも、すでに5〜6人のチェリビダッケ教の信仰者がいました。 しかしある友人が忠告するには、このチェリビダッケの音楽は確かにすばらしい。でも彼の門下からはすぐれた指揮者は育たない・・。 このことばに一抹の不安を感じながらも、やはりこの目でそのチェリビダッケを見たいと言う気持ちは高まるばかりでした。 それからまもなく、ドイツのトリアーでこのチェリビダッケの講習会があるという話を聞きつけ、ヴェネズエラの友人とポンコツのフォルクスワーゲンで一路アウトバーンをトリアーに向かいました。

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ここでひとつ現実的なお話しをすると、指揮者を志す若者は世界中に星の数ほどいます。そしてそのすべてが、いわゆる有名な指揮者に習いたい、コンタクトが欲しいと思っています。しかし有名な指揮者は、みんなすごいスケジュールで世界中を飛び回っているので、とてもじゃないが時間がない。(このようにインターネットごっこをしている時間はない!)その上有名なオーケストラが、もしも若い指揮者に練習を公開したら、それだけで毎回練習は満員!!になってしまうのです。つまり若い指揮者(もしくは指揮者希望の若者)が指揮の講習会に、何の制限もなく巨匠のレッスンを受けれる、少なくとも近くに寄れるこのチェリビダッケのような講習会は、それこそ希有のことなのです。

指揮を引き受ける条件

さて、そのチェリビダッケの音楽の話をする前に、チェリビダッケが指揮を引き受ける条件がいくつかあります。その条件を上の方からみると・・一つのプログラムに対して一週間ほど練習をする(普通は2〜3日、最高は14日間も練習した!!)、そしてその練習はすべて公開とする・・つまりオーケストラ側にとっては、経済的にも精神的にもなかなか辛いものなんです。おまけにレコーディングはダメ!、放送も一回限り・・ということで、よっぽどこのチェリビダッケを信仰するオーケストラの事務局長が、自分の首をかけるくらいしないと実現しなかったんです。したがい、チェリビダッケの偉大な音楽がなかなか聞けないということが相乗効果を生み、ますます神秘のマエストロとして我々を引きつけるのでした。

さてその指揮の講習会は
   

   1.チェリビダッケの練習を見学する。
   2.生徒が実際にオーケストラを指揮する。
   3.指揮のテクニック指導。
   4.講義を聞く。

と大きく四つに分かれています。時間配分はおおよそ、見学30%、オーケストラを使った実技10%、指揮のテクニック指導20%、理論講義40%でした。
この中でなんと言っても圧巻は理論講義でした。もちろん私はそのころまだドイツ語はようやく日常生活が出来るようになったくらいですから、ほとんどわからない、ただチェリビダッケが自分の音楽をすべて言葉で、思想で、哲学で裏付ける事が出来るということには感嘆しました。
ほんの少しですが覚えているのは・・・

「作品を調べると言うことは・・・
 理論的かつ数学的・・・
 現象学的分析に基づき・・・
 空間の中で二つの音はどう出会うのか・・・
 結局音楽とは・・動き・・意識なのです!!」


こういう風な演説というか講義を延々聞かされるのです。
某宗教団体の洗脳と本当に紙一重です。しかし決定的に違うのは、チェリビダッケの音楽がほかでは絶対に聞くことが出来ない魅力がある、一言でいうと、その音楽に出会った瞬間、その人は今までとは違った人生を歩む・・・究極の意味の音楽芸術なんです。



若かりしチェリビダッケとフルトヴェングラー
1948年ベルリンフィルと共にイギリス公演に
出発するところ。ベルリン・ガトウ飛行場


ちょっと難しい話になったので、わたしがこのチェリビダッケの講習会で残った印象、それに、その後シュトゥトガルトやミュンヘンに通い、彼の練習やコンサートでの印象をまとめると・・
 

チェリビダッケが、いつも二十歳くらいの金髪のとびきりの美人と一緒にいる。 はたしてあの人は.・・彼女?・・ 隠し子??どちらにしても羨ましい・・
 
チェリビダッケが弾くピアノは絶品。彼がベートーヴェンの英雄交響曲の第2楽章の最初のテーマをふと弾き始めた・・それは正しくオーケストラの響き・・神業だ!
(チェリビダッケはベルリンで音楽学生の頃、レストランでジャズピアノを弾いてバイトをしていたそうです)
 
チェリビダッケは5分に一回は同業者の悪口をいう。今の自分に不満があるのかな?
 
弱奏はすばらしいが強奏がないのでちょっと欲求不満・・というより、もっとすばらしいオーケストラで聞いてみたい。

生徒がどうして、あんなに気が抜けた操り人形みたいになるの?
 
変拍子があんなに得意で指揮台で踊り出すのは、チェリビダッケがルーマニア人(ラテン系)だから?
 
ブルックナーの第8交響曲を聞くと、やはりフルトヴェングラーに影響されたのかな?
  
晩年になってカラヤンが死んだ後にあんなにCDやLDを出したのはなぜだろう・・?

私はどんなにすばらしい音よりも、チェリビダッケが音楽に酔っている、幸せそうにしている姿や顔により感激した。

確かにチェリビダッケの回りには後光が射していました。

巨匠の思い出 インデックス


50ccのこの愛車Vespa(蜜蜂)で、シュトゥトガルトのチェリビダッケの練習を見る為、まる2日間かけて行ったことがあります。また指揮者の井上道義先生を後ろに乗せてザルツブルグのカラヤンの練習を見にいったこともあります。オーストリアでは50ccでも二人乗りができるんです。


チェリビダッケの法則

私が見つけたチェリビダッケの法則は、もしあなたがある曲について一つのイメージをもったとき・・・
それをすべて!!逆にすること・・・それがチェリビダッケの法則です。
早いと思ったら、遅く!
フォルテと思うと、ピアノ!
レガートと思ったら、マルカート!

ここであなたは、あなたのすべてをチェリの前に捧げるか、さもなくば彼の前を去るかの選択をしなければなりません。


私はこの巨匠と接することが出来て大変幸福でした。
本当の音楽に目覚めさせてくれた・・自分の中に子どもの頃から感じてきた、育ててきた音楽を再びわき上がらせてくれたことに感謝します。これはとりもなおさず、それまで私が受けてきた音楽教育(特に日本の音楽大学)が、ちょと違うのでは・・?という気持ちになったことも事実です。
当然のことながら、このトリアーでの講習会の後しばらくの間、朝から晩まで、このチェリのことで頭が混乱していました。しかしその後、もう一人の巨匠、よくチェリの正反対の生き方をする指揮者として取り上げられたカラヤンと接する機会が増え、それとともにこのチェリのいいところ、あまり感激できないことが冷静に見れるようになりました。
私がこのチェリビダッケの影響を受け、現在の私の音楽作りの中で特に大切だと思ことは・・
 
 1.楽譜は音楽を運ぶ手段、楽譜によって音楽は現実の
   ものとなる、しかし、楽譜の中には音楽はない!!
 
 2.音楽は2つの音の空間と時間の相関関係で決まる。

 3.わかる人にしか、わからない。
 

1997/ 3 Ver1.2.


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