幕末〜明治の奇才の画家

ここでは私の先祖、幕末〜明治に生き、奇才と呼ばれた
ハイブリッド画家 淡島椿岳の生涯と作品をご紹介します。

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はじめに

椿岳(ちんがく)を画家、あるいは書家という一言でくくることはできません。事実明治の画壇の資料でも、この椿岳の名を見つけることは困難です。
私がこの椿岳の生きざまを知ったのは、明治の文芸評論家で「罪と罰」のロシア文学の翻訳者としても活躍した内田魯庵(1868~1929)の記した「思い出す人々」(岩波文庫 緑86-4)からです。
この「思い出す人々」には、椿岳の実の兄で江戸末期の大富豪として名を馳せた伊藤八兵衛(この人が私の祖父の祖父にあたります)、そして尾崎紅葉、二葉亭四迷、坪内逍遥、森鴎外、夏目漱石といった明治の大文豪とともに、この淡島椿岳が「過渡期の文化が産出した画界のハイブリッド」として50ページにわたり紹介されています。
ここで言われる過渡期とは、もちろん江戸から明治に転換する激動の時代ですが。淡島椿岳がその新しい文化の創生期を、自由に、自在に、奔放に生き、そして明治の偉大な文豪とともに、今なお活字として私達の目に触れることが出来ることを知り、遠縁ではありますが、この椿岳をインターネットを通じてみなさんにご紹介したいと思いました。

1997年4月

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