アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー
Zemlinsky (Zemlinszky), Alexander von
オーストリア 1871 - 1942
作曲家、指揮者。
1885年、ウィーン音楽院に入り、ロベルト・フォックスに作曲を師事。
1895年、ブラームスと知り合い、音楽的に影響を受けるとともに仕事上でも助けを受け、出版業のジムロクに推薦されて三重奏曲 op.3、弦楽四重奏曲 op.4 が出版された。
この頃、シェーンベルクに作曲を教え、シェーンベルクはツェムリンスキーの妹マティルデと結婚。
1900年、マーラーがツェムリンスキーのオペラ「昔あるとき」をウィーン宮廷歌劇場(現 国立歌劇場)で上演、成功。
同年、ウィーンのカール劇場の指揮者。
1904年、新設されたウィーン・フォルクスオーパーの初代首席指揮者。
1907年、マーラーに呼ばれ宮廷歌劇場に移る。同年12月、マーラー退任の際にフォルクスオーパーに戻った。
1911〜27年、プラハのドイツ劇場のオペラ監督。1920年からプラハのドイツ音楽アカデミーの作曲科主任。
1927〜30年、ベルリンのクロル・オペラの指揮者。
1930年、ウンター・デン・リンデンのベルリン国立歌劇場の客演指揮者となる。その後ベルリン高等音楽学校で総譜視奏と合唱指揮を指導。
ナチスドイツが台頭し、父がユダヤ系であったツェムリンスキーは1933年にウィーンに逃れ、ウィーン・コンツェルト・オーケストラの音楽監督となる。
1938年、プラハを経てアメリカ合衆国に亡命。米国での生活は恵まれず、病のうちに世を去った。
作風はマーラーと新ウィーン楽派の間に位置する。
多才な音楽家で、教師としても活躍、門下にはアルマ・マーラー、シェーンベルク、コルンゴルトらがいる。
作曲家としては、初期には世に出してくれたブラームスの他、ワーグナーに、その後はマーラーやシェーンベルクの影響を受けた。
生前は指揮者として有名であったが、没後作曲家としての評価が高まった。
遺灰は、1985年ウィーンの中央墓地の楽聖特別区に転葬。
代表作:
三重奏曲 ニ短調 op.3(ピアノ、クラリネット、チェロ)
弦楽四重奏曲 op.4、op.15、op.19、op.25(1936)
交響曲 ニ短調、変ロ長調
幻想曲「人魚姫 Die Seejungfrau」
シンフォニエッタ op.23
合唱曲 詩篇(合唱、オーケストラ)
叙情交響曲 Lyrische Symphonie op.18
バレエ ガラスの心臓 Das glaserne Herz
◆オペラ
ザレマ Sarema
昔あるとき Es war einmal
夢見るゲルゲ Der Traumgorge
馬子にも衣裳 Kleider machen Leute
フィレンツェの悲劇 Eine florentinische Tragodie
小人 Der Zwerg
白墨の輪 Der Kreidekreis
作品:管弦楽曲DB

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