イベール・ジャック
Jacque Ibert
1890年パリ〜1962年同地。父親は趣味でヴァイオリンを弾き,母親は優れたピアノの腕前を持つ家庭環境で、幼少より音楽教育を受ける。作曲に興味を持ち両親に隠れてデュボアやルベールの和声学を独学。1911年パリ音楽院に入学しエミール・ペサール(1843〜1917)の和声学のクラスで学ぶ。アンドレ・ジェダルジュ(1856〜1926)の対位法とフーガのクラスに入り、ダリウス・ミヨーとアルテュール・オネゲルとの交流を深める。1913年ポール・ヴィダル(1863〜1931)の作曲法と管弦楽法のクラスに入る。生活費を稼ぐために映画の映写間にピアノで即興演奏をしたり、ダンスミュージックなどの作曲をする。1919年ローマ大賞のコンクールに応募、カンタータ《詩人と妖精》でローマ大賞を受賞し一挙に注目を浴びる。1920年ヴィラ・メディチスの研究生に指名される。1930年パリのオペラ座で《イヴット王》が初演される。1933年パリ音楽院の教育委員会メンバーに任命される。1937年ローマのフランス学士院(ヴィラ・メディチス)の院長に任命される。1955年パリ・オペラ座の総裁に任命される。1956年フランス学士院のアカデミー会員にも選ばれる。1962年2月5日パリの自宅で亡くなる。ボストン交響楽団の75周年記念委嘱作品である《交響曲》は未完のままであり、1955年に完成されていた第一楽章が《ボストニアーナ》のタイトルで出版される。イベールは最期に「海の交響曲と共に出発する」と息子に言葉を残している。イベールの作品は豊かな色彩、流麗、軽妙な作風が特徴。
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