この頃新聞は地域の「地方新聞」だけしか取っていない。日本の大新聞は専らネットで見ている。それも「何をトップ」にもってくるかと、「社説」「コラム」をざっとみて、朝の30分をすごすことが日課になった。
起床前のNHKラジオの第一で、世界の、また日本のニュ−スはもれなく耳に入っている。
処で各新聞の「社説」をみて思うことを書いておこうと思った。
それは「社説」は誰が書き、誰の意見であるかということである。
そもそも「新聞」とはというところから話を始めなければならない。
とりあえず「Wikipedia」で「新聞」をのぞいてみたら、「国内外の事件、事故や、国内外の政治や経済などの動向などのニュ−スを報じるためのメデイアの一種で」とあったが、弘前で今話題の「150年前に生まれ100年前に亡くなった陸羯南(くがかつなん)の日本で始めて発行した「日本」新聞のことが書かれていない。また私の記憶にある福澤諭吉先生が発行した「時事新報」のことも書いていなかった、昔のことで今の問題ではないというのであろうか。
と思っていたら「三田評論4月号」に「時事新報125年」という特集があったのを思い出した。
時事新報はもう無くなったのでは思っていたが、「一度解散後、・・・21年復刊・・・全くの休眠状態であるが、・・・年一回株式総会をやっている」とのこと。
記事の中に「慶應義塾と時事新報」「独立不羈」「不偏不党」「良識ある社説」など「時事新報」の特徴が述べられていた。
新聞各社によって「社説」の取り扱いは異なると思われるが、その説の責任は誰がおうのであろうか。「社」であるのか「論説委員達」あるいはその代表者か、その原稿を書いた本人であるのか、現状ではその点ははっきりしない。
私の個人的な意見としては原稿を書いた「ご本人」で、「署名入り」がよいと思う。
そのような「署名入り」[本論」「記者の目」というのもある。「コラム」も殆ど「書いた方」が一般に知れわたる場合もある。でも今でも「不明」の場合もある。
そんな意味からいって「ラジオ・ネ−ム」とかいっているのは「気に」いらない。匿名記事も同様である。
タイム誌が(2006年)に選んだ「今年の人」(Person of the year)は「You.!」であったという報道があったというのは、そんな意味があるのではないかと思う。そして私が自分の責任でHPを書いている意味でもある。(20070821)