正月の遊のことなど

 

 ラジオにTVに「お正月の遊び」についての番組がつづいている。

 私にとって記憶のあるものは「たこ揚げ」である。自分で作った四角いタコを長いタコひもをもって、三田の綱町グランドで空高くあげた記憶である。

 良くあがったものだと今思う。あがったときのひもをひぱっている感覚が今も記憶の中にある。

 家には女姉妹がいなかったから、”はねつき”は近くの女の子がついているのをみていた記憶だけである。

 ”べいごま””めんこ”もやった記憶はあるが、一番の記憶は”けんだま”である。

 小学校に上がるまえから、近所の男の子と年中やった。一列にならんでひとり一人と勝負をして上に上がって行く遊びであったと思う。

 それ以来技術の進歩はほんどないが、戦後「日本標準規格」とか新聞紙上の記事をみて注文したことがあった。その規格品は今も家にあるが、「けんだま同好会?」の「東北支部」をやらないか!とか、一つ売ればマ−ジン料これこれだ!とかいう話があって、自分としては「国家公務員」だという自覚があったためか、その後連絡をしなかった記憶がある。

 結婚して子供ができたころ、「ほとんど名人級」の技をもっていた自分は「自慢らしく(そばの人のことば)」やってみせていたらしく、先日次男の話では「こんりんざいやらない!」と思ったとか聞いたことがあったが、「子供の教育のむずかしさ」を思ったりした。

 救急車に運ばれて入院したあと、久しぶりに出してやってみたら、「巧くいかない自分」を体験した。

 老化というのであろうか、80歳をこした身はそれなりなのかと思う今日この頃である。(20070109)

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