記憶にのこる言葉・文章など(その4)

 

その8

 

以前私は学生時代比較的乱読であったと書いたことがあった。

 「夏目漱石、寺田寅彦、西田幾太郎、ロシア文学、そしてキュ−リ−夫人伝などの伝記物、福沢諭吉の新女大学等々」と。

 そして「一冊の本」を選ぶとしたら「実験医学序説」(クロ−ド・ベルナ−ル著)であると書いたことがあった。

 また「歴史的認識について考える」について書いたとき、「福澤諭吉先生・増田四郎先生の著作に影響を受けたことが考えられると書いた。

 「福澤の大先生のお開きなさった慶應義塾 その幼稚舎」から大学医学部を卒業するまで慶應義塾で教育を受けたのでそれから逃れることは出来ないと思うのだけれど、ここでは増田四郎先生の著作のいくつかの文章にふれておこうと思う。

 増田四郎先生にはお目にかかったこともないし、講義を聞いたこともない。1908年生まれで歴史学者とあり、たまたま図書館で「歴史する心」(創文社,1967)にお目にかかったのである。

 そのいくつかの文章をノ−トに写しとったのだが、いくつかを再掲しておこうと考えた。

 「歴史をふりかえってみると、古今東西、きわめて多くの歴史家であっても」 「その歴史家が生きていた時代の思潮や諸情勢の反映でないものではなかろうかという気がする」

 「ある地域社会をより良くするという実践的判断というものは、人類はこう発展するのだという、セオリ−だけでおこなえるものでない。最も実践的であるためには、最も正確にその社会の実態を知らなければならない。その操作を経ないで改良するというと、形だけは改良するが、中の精神は生まれない」

 「歴史的なものの考え方とは、ひと口にいえば個々人が自分の現に置かれている位置、ひいては自分の属している団体や国家や民族の現に置かれている位置というものを、その時間的な経過と社会的な条件の中で、客観的に正しく理解してみたいという要求にささえられた考え方といえるでしょう。」

  「無数にのこされている各種の史料の証言なのです。史料の証言をぬきにした叙述は、いかに実践的意欲に燃えていても、それは文学作品であって、歴史とはいえません」 「史料の前では、われわれは一応自分を無にして、史料の語るところを忠実にうけいれ、歴史的事象の意味を客観的に聞きいれなのです」 「はじめはこまかい研究から出発して、強靱な精神とするどい洞察力を養い、だんだん広い世界の意味統一を見極めていったのです」

 「ソクラテスやプラトンの作品は、ヨ−ロッパ思想の最大の古典であるといわれますが、あれが奴隷制社会を前提として生まれた思想であるというふうに、その作品が生まれた歴史的・社会的背景を考慮に入れてゆきますと、やはり簡単に超歴史的な永遠不滅の真理であるなどとは、義理にもいえない側面があるはずです」 「一つには、人間社会の底に流れている真実を、最も総合的・包括的にとらえた完成した芸術作品、いま一つには、一人の偉大な思想が、到達した世界観の体系であり、それぞれに立派な(世界)をつくっているものだということ」

 

などなど

 

 その他「スペシャレスト論争」「頑固と長寿」「天災と国民性」「村と町」「不毛と民主主義」など現代の諸問題にするどい考え方をのべていると読んだのであった。(20061218)

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