医科学大辞典「ENCYCLOPEDIA OF MEDICAL SCIENCES」 講談社 全50巻 昭58
循環器 「脳血管疾患管理」(佐々木直亮)分担執筆(pp69-70)
脳血管疾患管理(のうけっかんしっかんかんり)
control of stroke, control of cerebrovascular disease
[D] Aufricht der Hirngeatherkrankungen
[F] administration de la maladie cerebro-vasculaire
わが国で古くから中風、脳溢血といわれ、最近では脳卒中と一括して表現される脳血管疾患は、病理学、臨床診断学の進歩によって、詳細に鑑別診断されるようになった。
大別すれば出血と梗塞であり、脳血管疾患管理上問題となる疾病はクモ膜下出血、脳出血、脳梗塞である。
しかし、脳血管疾患は解剖学的な部位としての脳の血管障害に由来する独立した疾患ではなく、循環器系疾患全体の中で、心疾患とともに包括的に、その管理を考えるべきである。→心疾患管理
国際疾病分類による統計も、1968年以後、脳血管疾患 は心疾患とともに分類、集計されるようになった。
脳血管疾患管理について考えてみると、わが国では、現在までに<管理>は行われていなかったと思われる。昔から脳血管疾患 による発病はあり、死亡はあったにもかかわらず、その多くは疾病発病後の診断、治療について、臨床医学的接近による医療が行われていたにすぎなかった。それは脳血管疾患の自然史についての知識がほとんどなかったからであろう。
現在では脳血管疾患 についての臨床・病理学的接近のみならず、疫学的接近が行われてきて、人々の脳血管疾患についての医学的知識が積重ねられており、これによって脳血管疾患の管理体系ができあがることが期待されている。したがって現在まだ一般的に普遍妥当性をもった管理体系をここに示すことはできず、現在までの経験をふまえて、脳血管疾患管理上問題になる点を指摘することにする。
死亡統計の整備
まず人々の脳血管疾患の基礎資料として、できるだけ過去にさかのぼった死亡統計の整備が必要である。それは性別に分けられ、何年に、何歳に、どのような病型で脳血管疾患で死亡したかの統計である。
脳血管疾患は一般に加齢に伴って死亡率が上昇する疾患であるから、粗死亡率の数値はいちおうの目安にはなるが、意義は少ない。訂正死亡率も、国とか県、市のような人口数の多いところでは計算が可能で、人口構成の異なる地域集団の比較には役立つが、小人口集団のばあいは計算しにくい。また、どの年令層の死亡も含まれ、同等に取扱われていることを、数値をみるとき考えなくてはならない。たとえば中年期(30-59歳)の死亡率が、働き盛りの人々の問題を明らかにしたように、一定の年齢層を区切っての死亡統計は有意義であり、最近では年齢を高年齢層にのばして検討することも行われている。しかし、高年齢層を含めると、他の診断名、たとえば老衰とか、心不全などとの関連がでてきて、死亡統計の数値のもつ意義が不明確になり、その解釈も難しくなる。そして、地域集団では全年齢についての検討が可能だが、職業集団では高年齢層の離職があるから、統計数値の取扱い、解釈には注意を要する。観察年度ごとの性、年齢、病型別の検討にとどまることなく、このような資料が長年にわたって整備されると、同一出生年次群のコホ−ト分析cohort analysisの検討が可能となり、脳血管疾患 のような、長年の自然史をもつ疾患についての問題をより明確にしてくれることが期待される。
発作発来管理
脳血管疾患はそれぞれの病型によって、発作発来の状態、またその後の経過はさまざまである。
「クモ膜下出血、脳出血」(発作発来)脳血管疾患のうちクモ膜下出血、脳出血については、突然におこることが多く、臨床的に明確である。前駆症状につては、クモ膜下出血のばあいの頭痛以外にはほとんどなく、一般に発作発来を予知することは困難である。発作発来の<打ちのめされたように意識を失って倒れ、運動麻痺がある>状態は古くから人々の間に認識され、医師の往診をこい、その時点から患者対医師の間で処理されてきた。ひとむかし前までまでは、死ぬ者は死に、生き残った者はそのまま放置される状態であったが、最近ではリハビリテ−ションが考えられるようになった。
(予後)クモ膜下出血、脳出血の予後についてはそれらの自然史からみると、1週間ないし10日間に約半数死亡する状態がみられたが、最近の脳外科の医学的適用によって、予後の改善がみられるようになった。したがって管理上緊急の問題となるのは、医療水準の向上、救急処置体制の整備であるといえる。
(誘因、予防)クモ膜下出血、脳出血の発作発来の誘因として、寒冷刺激、重労働が考えられるが、発作発来の直接要因、これを注意すれば必ず予防できるという要因は明らかではない。発作発来後の予後の重要さについては、ふだんから十分教育されるべきである。 脳血管疾患 、とくに脳出血については、後述の高血圧が基礎条件であることは明らかである。疫学的研究、動物実験結果から、高血圧、脳卒中の素質があり、高血圧状態でも、生活、とくに食生活でタンパク質あるいは適当な脂肪の摂取は、発作発来予防に有効ではないかと考えられるようになった。→クモ膜下出血、脳出血
「脳梗塞」(前駆症状)脳梗塞のばあい、その前駆症状として24時間以内に消失する脳血管疾患の一過性脳虚血発作transient ischemic attack(TIA)、また、24時間をこえ、3週間以内に消失する脳血管疾患の可逆性虚血性神経脱落症状reversible neurological deficit(RIND)があることが知られている。しかし、このような症状は、医師の診断を受ける際には消失していることが多いから、問診でこれらの症状を聞出すことが必要になる。また、これらの症状は脳梗塞の固定された症状の前駆症状としての意義をもつことを、一般の人々に十分教育する必要がある。これらの症状は、消失してしまうか急を要する症状でないと考えるより、きわめて重要な症状として、医師の管理下にあることが望ましい考えられるようになった。
(誘因、予防)脳虚血発作を反覆しているうちに、脳梗塞として症状が固定されるが、その発作発来の直接の要因は明らかでない。人間の温度環境のうち、老人の正常温度調節閾をこえる暑熱環境も問題ではないかと考えられるようになった。したがって、老人のばあい、人工的に適切な温度環境下に生活できるように管理されることが脳血管疾患 発作発来予防の面から、また、適切な運度も必要であろう。→脳梗塞
(発作後の経過)脳梗塞のばあい発作発来後死亡に至るまでの経過は、脳出血のばあいと異なって2年ないし5年と一般に長い。脳出血のばあいも1カ月くらいの時期を過ぎると、脳梗塞のばあいと同様の半身不随の状態が長くつづくことになる。リハビリテ−ションによって、軽快、治療が期待されるのであるが、多くは寝たっきり老人として、老人医療とかかわりのある問題となる。→老人医療費支払制度
高血圧対策
脳血管疾患の自然史に関する研究によって、脳血管疾患 、とくに脳出血の発作発来、死亡と、その人の長年にわたる高血圧状態と関連があることが明らかとなった。したがって脳血管疾患 管理上、予防面で基本的なことは、高血圧管理である。→高血圧管理
(血圧管理)高血圧管理には、一人の人の血圧管理と人々の人口集団での管理がある。1958年、WHOは高血圧の疫学的研究を実施するにあたって、人口集団について統計的応用のために、一定の限界線を引いて、高血圧群、正常血圧群を区分することを行ったが、これは個人を対象にしたものではなかった。臨床的に個人の血圧管理を行うには、それなりの方法論を考えなくてはならない。
1974年、WHOは、個人については<日を異にする、少なくと3回の標準条件下における測定値の平均値をとり>最小血圧110mmHg(最大血圧では180mmHg)以上になると、合併症発生の危険度はいちじるしく増大し、大部分が治療の対象になると報告している。78年の報告でも、臨床的には少なくとも2回の異なるばあい、少なくとも3回血圧を測定すること、また、高血圧などの区分は任意なものであることが述べられている。
現在では、血圧は個人ごとに異なり、日々変動し、それでいて小さいときから血圧が高めを示す者、低めを示す者がおり、そのような状態をもちつづけながら成人していく様相が明らかになり、また、人口集団で長期にわたって血圧を測定、観察し、その生命予後を追跡した結果が報告されるようになった。血圧水準が最大血圧120mmHg、最小血圧70mmHg付近がもっとも生命予後がよく、それより高くなればなるほど、生命予後が悪く、脳卒中、心疾患の発作や死亡がおこっていることが明らかになりつつある。
したがって、血圧管理は、血圧を1回測定してすぐ判断されるべきでなく、長期にわたって監視していく血圧サ−ベイランスblood pressure surveillanceができるような管理体制が必要である。
(食塩過剰摂取の改善)現在のところ、人が何故高血圧になるかの成因が明らかにされたわけではない。動物実験で示される遺伝素質といわれるものが人間にもあり、環境面として、生後からの長期に食塩の過剰摂取が成因に関連する要因として考えられている。1977年、アメリカでは食事改善目標として食塩の摂取を約50%から85%減らし、1日約5gに減少することを示し、78年、WHOは<食塩摂取を1日3-5g以下に保つことが望ましいと強調されるようになった>と報告した。わが国では79年、<日本人の栄養所要量>の改正の中で、食塩の適正摂取量として、高血圧素因のない人のばあいという注が付いたうえで、15歳以上の男子、女子につき、ナトリウムとして3.9g、食塩として10g以下とした。
このように食塩過剰摂取についての改善策は、高血圧対策の具体策として展開されることになった。
冒頭に述べたように、脳血管疾患 は、心疾患とともに循環器疾患の一部であり、したがってその対策は、循環器疾患との関連があると考えられる生活を賢明に制御してゆくことが、管理の中で重要であると考えられるようになった。(佐々木直亮)