八十五歳の足の痛みの記録の続き(オタク老人のひとりごと32)

 

 私の「八十の足」の痛みの記録に「痛い痛いで丸一年」と書いたあと「どうゆう具合かは判然とはしないが、一言で云えば良くなってきたのである」と昨2005年9月に書いているが、その後の経過の記録を書いておこうと思う。

 「痛み」については「み」のつく言葉は分からないと前に書いたことを思い出すが、文学的才能のない自分にはそれを適切に表現する言葉がみつからない。「客観的にどうあらわしたらよいか」を考えながら、現症を記載するよう努力したいと思う。

 毎朝の血圧測定の記録の手帖に書いた記録をみると、今年2006年になってから、4月の中旬ごろまでは痛みの記録は「−」である。5月上旬は「+−」とあった。そして7月中旬まで「−」であったのが、7月下旬以後今日8月20日まで「+」である。

 「+」とか「−」とかで記録したが、その自覚症状は毎日微妙に変化し異なるのが特徴である。

 最近の様子は以下の通りである。

 朝起床前排尿して床にもどると、「痛み」を下肢に感じるようになる。その痛みは「立って歩く」ことによって起こるより「排尿した」ことによって起こるように思われる。「排便」がなくても痛みがおこる。その痛みは「就床したまま排尿して」も起こるからそう思うのである。

 以前は10のうち7-8位にまで急に痛みを感じたことがあったが、今は2-3位の痛みである。「足のおきどころのないような痛み」で、どんな体位をとっても痛い。ストレッチをしたあとの痛みがいつまでも局所に残るような、「足のおきどころにこまるような痛み」であって、「えび」のような体位をとってしばらくじっとしていると約30分で軽減して、そろそろ起きだしゆこうかなという気持にようやくなるという感じである。

 右片足で立っても何ともないが、左片足で立とうとすると「痛み」が増強する。この時のバランスをとるときの筋肉の緊張に関係しているような感じである。左大腿部の奧の骨の近くに何か急につったような痛みである。その痛みがあとまでのこるような、消えない痛みで、しばらくそこを動かさないでじっとしているとすこしは、3から2-1と痛みが軽くなるようである。

 痛み止めの内服薬としてのNSAIDs(非ステロイド系鎮痛消炎剤)としての「アスピリン」「ロキソニン」を試みたこともあるが、「胃潰瘍」「腎障害」への副作用を考えて、ほとんどきかないこともあって服用しないように心がけている。

 「モルヒネ」で「痛み」から解放されたいような気持になり、「癌」の末期にうまく使用する方法があると読んだこともあり、アメリカでの老人医療に「麻薬問題」があるというニュ−スを聞くと、そんなこともあろうかなという気がするが自分では試みてはいない。。

 自律神経というのはよくわからないが、「深呼吸」「腹式呼吸」をやると、「副交感神経へ」といわれているので、心がけている。昔血圧測定のとき、第1回目のとき高い値が出たときは「深呼吸をして」と測りなをしたことの記憶がある。

 先日亡くなった鶴見和子さんの話を深夜放送で聞いていたら、脳卒中で半身不随になったあと立とうとすると「痛み」がおこる、それでも努力していると云っていた。「しびれ」があったとのことだが、私の場合は「しびれ」はない。「痛い」ときは熱心にに「仕事」をすると忘れてしまうとのことであったが、「心」の問題とも考えられる。昔「心のもちようで火、もすずしいといった言葉」があった記憶があるが、思い出せない。「痛い」と「心」で思わないように心掛けることにしてはいるが。

 朝おきておきまりの「ジュ−ス」を飲んでいる間、下肢全体に異常感がのここる。

 午前中に「痛み」の感じが起こるのが普通で、午後は排尿のあとは一寸おかしく感じるくらいである。どうにか、歩くのに、痛みは感じないようになり、そろそろと、転ばないことに気をつけて歩くことができるが、外出はせず、まさに「オタク老人」である。こんな「じっと我慢の」毎日である。

 専門家だったらどう考えるのであろうか、久しぶりに整形で再診していただこうかと考えている毎日である。(20060820)

 もとへもどる