医師と弁護士の思想(オタク老人のひとりごと14)

 

 大学の医学部衛生学講座の教授として勤務してきた身であるが、最近のいろいろの出来事から、「医師と弁護士」の考え方に相違があることを感じることを書いておこうと思う。 

 昔聞いたのか読んだ本に「友人をもつとしたら医師と弁護士をもつとよい」という話があった記憶がある。アメリカでの話であったかとの記憶である。

 当時はそんなものかなという位の軽い気持ちであった。自分は一方のはしくれではあるが「医師の免許状」をもっている。とすれば弁護士の友人をもたねばと考えた位の軽い気持ちであった記憶である。

 医師を育てる学校で、それも「衛生学」を担当する身となったが、「医学教育」についてはここではふれない。その経歴また考え方についてはすでにHPに述べてきたつもりである。

 最近その職からはなれて広く世間を眺めてみて考えることが多くなったが、「オタク老人のひとりごと」で標題について書いておこうと思った。

 というのは、世界ニュ−スとか国会中継のTVでの発言・討論を見たり聞いたりすると、その方々の意見なり言動に「ちっとちがうのではないか?」という感じをもつからである。

 具体的に何かはここではふれないが、意見を述べる方々の経歴をみると、「弁護士」であったという方が多いように思われるし、自分の経歴と違う方々の考え方に興味をもったのである。

  「弁護士のHP」をみると「弁護士の活動は法廷活動、紛争予防活動、人権擁護活動、立法や制度の運用改善に関与する活動など、私たちの社会生活のあらゆる分野に存在しています」「法律の専門家として適切な対処方法や解決策をアドバイスする(社会生活上の医師)なのです」とあった。「医師」という文字をどういう意味で用いているかは不明である。

 弁護士のシンボルとして「天秤」があった記憶がある。「公平」を意味するのかと思った。

 弁護士は「依頼人」のために諸活動をするのであろう。

 一番不思議に思うのは、裁判などの場合に「被告」「原告」両者に弁護士がつき「依頼人」の為に仕事をしていることである。選挙のとき、両陣営に弁護士がついているのをTVでみた記憶もある。

人が作り上げ文章化した「法律」に従って、「業」を行う場合には「法」のもとにあることは明らかではあるが、 弁護士のよりどころは現行の「法律」であろう。その解釈・主張によっ依頼人の為に弁護するのではないかと想像する。判断は「裁判官」が下すようである。

 「陪審員制度」が進行中のようであるがその問題については後日にゆずりたいと思う。

 「医師」の場合、現在は来院した「患者」の為に最善をつくすのが原則であろう。「開業の経験のない者のひとりごと」とお許し戴きたいと思う。

 「人の病気」の場合には、その診断・処置は「医学」の歴史的展開による成果を理解することによって左右されると思う。医学の場合「かならずしも(原因)は明らかではない」と思うし、「絶対」とは考えないものだと思う。そのことを「医学教育」を受けた者「医師」は知っていると思われる。

 「医師」は「本当の原因は分からないもの」という認識があると思う。その中で「患者」に対し、その人の為に最善と思われることを考えなくてはならないと思う。

 ここでは一般の開業医ないし勤務医の考え方を推測して述べているにすぎないので、「疫学者」としての考え方は別にあるがここではふれない。 

 そこへゆくと、「法律」は書かれたもので、その上での「絶対」であると思う。その解釈には諸説あるのが現実であろう。

 技術革新が進行している世の中で人の作った「法」はそれに追いつかないのではないかと思う。

 医学の分野で言えば、「細菌」が人間の知恵の中に認識されたのが最近のことだし、「ウイルス」などはごく最近で、今話題の「鳥インフルエンザ」などはまだよくわからないが、現実にはその対策を考えなくてはと専門家の中ではいわれているのではないかと思われる。

 「ウイニ−」は使わないようにと官房長官が発言していた。大分前にこのソフトのことを聞いたが、自分では使用していない。その方面の「法律」はおいついていないのではないかと思う。

 そんな世の中で討論が行われているので、「ちょっとおかしいのではないか」と思うのだが。(20060321)  

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