「三寒四温」の記憶から(10)

 

 久しぶりに「三寒四温」という言葉が耳に入ってきた。

 昨日の春のような気候から一転して氷点の冬に逆戻りしたことをラジオは告げていた。

 昭和30年のはじめ、東北地方の住民の血圧を観察をしはじめた頃、「三寒四温」の外気温と共に血圧が変動していることを認め、助手の三橋君と共著で論文を書いたことを思い出した。

「秋田県農民の血圧の観察とくに血圧の遂日的変動について」(医学と生物学,48(1),6-9,昭33)

 今年の冬は「大雪」で、屋根までとどいた雪が氷になって、引き込みの電線を切るおそれがあり、ここは除雪の専門家にやってもらおうと考えた。

 昨年除雪に弘前までやってきた修が東奧日報HPでみて教えてくれた「弘前に県内初の除排雪NPO発足」の除雪情報に電話してやってもらった。3時間1万5千円ですっきりしたところだった。

 その翌日は春のような日差しであったのが、今日は一転冬に逆戻りしたのであった。

 今は住宅事情が良くなったので、昔のように、外気温が変化しても、室内は暖房が完備されてきているのではないか。枕もとの水が凍るようなことはないと思う。

 ミネソタで一冬すごしたときのは、 室温は24-25度でYシャツ一つですごしたことを思い出す。

 弘前へ帰ってきてその温度を保とうとしたが、暖房費はかかるし、湿度が高いせいか、その温度では暑かった。少し厚着をすればすむことである。

 寝室は十分布団をかけて13度位にしていて寒くはない。

 9時ごろ居間の温度が21度位になったところで起き出すので寒さは感じないですむ。

 これが老人の過ごし方である。

 昔の人達はどのように暮らしていたのかと思う。 (20060216)

もとへもどる