オタク老人のひとりごと(1)

 

1 朝8時に箱根駅伝のスタ−トは切られたと枕元のラジオが喋っていた。

 ああ青森にきた頃の山崎知事さんが昔駅伝を走っていたと云ったっけ。その息子は青森医専の学生で後に代議士に、またその息子が代議士に。

 日体大がトップを走っていたがたちまち何区かで牛蒡抜きにあったところで起き出してTVをみたら・・・

 あいかわらずオ−トバイが前をはしっているではないか。

 あとは書かずとも分かる人には分かってもらえるのではないか。

 昔「マラソンにオ−トバイの先導はいらない、まるで一酸化炭素中毒の吸入実験をやっているようではないか!」と書いたことを思い出した。(

 

2  紅白うらばなしのTVをやっていた。

 腰がいたく正月早々入院手術と聞いていたみのもんたさんが綜合司会をやると聞いていたのでどうなるものかと気にかかっていた。

 大晦日紅白はみのさんの顔から始まった。4時間半の生番組も時間通りうまく運んで良くやっていたとみたのだが、当のご本人は出来は10%とか言っていたとか。

 各部所にプロデュサ−が何人もいてNHKらしくやろうとしているところへ、民間のパリパリが入ってきたのだから・・・。

  2階のラジオ放送のアナのいるところでのみのさんの1分のモノロ−グはよかった。昔を思い出してのことであったのか。

  「面白ゼミナ−ル」のときは「2分30秒」ぴったりで内容はおまかせであったことを思い出した。

 原爆の詩も沖縄の歌もはるか昔のことのように思われたのは私だけだったのであろか。 国民的イベントとは何であろうか。公共放送は今後どうなるのであろうか。

 でも視聴率が40%を越したとか今朝の新聞にでていた。

 

3 年末送られてきた三田評論12月号をみていたら、浅利慶太さんの「戦後60年に問う昭和の歴史三部作」についてのインタビュウ−の記事があった。

 劇をみたのではないが、浅利さんの考え方が分かった。

 「左派は極東軍事裁判史観に基づき、全てを侵略行為で悪だと否定する。右派はそこに歴史の必然があったと情緒的に肯定する。両方とも観念論に過ぎません」と。

 戦後蒋介石の対日戦の処理にとった行動にもふれていた。

 私にも記憶があるのだが、「徳をもって怨みに報いる」という話であった。

 この記事のおかげでそのもとの言葉「いとく(懿徳)報怨」を知ることができた。

 その人なりの体験からの主張があってのシナリオではないかと考えた。私より一寸若い人の。

 ちょっと年上の話題の人のTVも年末にあった。

 「あの人は 陸軍歩兵二等兵で あったとか」

 現在の世の実力者とみられている人、その人の戦後たどった経歴など、最近自叙伝を書いたと述べていたが、その方の一面を伺い知れた思いがした。生の番組は面白い。

 久しぶりに三島へ移った兄から手紙がきた。山梨新聞への投書コピ−も入っていた。経済が専門であったので内容は理解出来ないことが多いのだが、「教授」にでもなっていたらと思わないわけではない。戦時中の経験からの文章は載らなかったと書いていた。

 「 実際に戦争を経験したもの・発言も少なくなる、以前ホ−ムペ−ジに書いておられたが伝聞での意見が専らのようです」とあった。6歳年上の兄も元気のようだ。

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