「リ−グ」についての記憶

 

 「リ−グ」「リ−グ」というと、今の人は「大リ−グ」を「Jリ−グ」を思うだろうが、私にとっては「六大学野球のリ−グ戦」を連想する。その記憶と「リ−グ」に関することを書いておこうと思う。

小学校時代六大学野球のリ−グ戦が盛んであった。中でも早慶戦は有名で、三田から神宮までタクシ−で乗り付けたこともあった。なんとおませな子供達であったかと今思う。

弘前へきてこのみちのくにも「小早慶戦」があったと知った。弘前で三田会が開かれたときの講演のときそのことを喋ったことが思い出される。

「弘前に”小早慶戦”という小学校の野球対抗戦があったことを知りました。その記事の中に”慶応の伊達、早稲田の宮武”とありました。しかしその記事の中の誤りにすぐ気が付きました。慶応は「本郷寿監督・宮武三郎・山下実、また水原茂さん」でなくてはなりません。三田の綱町で生まれ、幼稚舎で育った者としてはです。再版されたときは訂正されていました」と。

昭和18年9月に卒業したとき「学窓から軍隊」への新聞記事も「早慶」であった。

「リ−グ」が[league」で「なかま・同盟・連盟」という意味で、今話題の「国際連合:UN」の前の「国際連盟」が「League of Nations」というのを最近知った。「動乱の世紀」のTVに繰り返し登場する松岡外相が、発言のあと皆に合図して退席する場面!の国際連盟が「リ−グ」だったとは。

 国際的な関わりは、自国だけでは健康がたもたれない、伝染病の情報の交換の必要性から生まれたと読んだ記憶があるのだが、第一次世界戦争のあと「戦勝国の仲間うち」の「リ−グ」ができた。勝ち組のひとつ日本が「人権問題」をテ−マにしても国際的には批准されなかった。

その話し合いの仲間からの脱退。そして日独伊連盟への判断をし、またソ連への平和条約への判断が間違っていたという日本のその後たどった運命。

そして敗戦。第二次世界大戦のあとUnited Nations:UN(国際連合)へと歴史は展開した。WHOも誕生した。その誕生には日本はかやの外であり、加入が認められたあともメンバ−の一人で一票はもっていても、GNP割で会費の受け持ちは大きいのに、拒否権をもつ常任理事国にはいれてもらえない。この中でゆれている現在を思う今日この頃といったところだ。 

UNも第二次世界大戦のあと誕生し60年たった現在でも、「攻防・国連軍縮外交」のTVをみると、日本提出の「核廃絶決議案」も賛成146,否2,棄権16,であり、また「小型兵器決議案」も賛成162,否1,棄権0と、全会一致といかないのは、どうゆうわけか。理想と現実の間でゆれているのが現在か。

各国の憲法がまちまちならば、その国の憲法を守ることが「公人」として、「否」を投じても、国連憲章とどちらが優先するかによるのであろう。

アフガニスタンもイラクも、その国としての新しい憲法をつくり、新しい国づくりが現在進行中である。しかしいわゆる「部族」がいくつもある中で一つの国、憲法にまとめる難しさが伺われる。

アメリカが独立したのが200年一寸前で、アメリカの成立の歴史をみれば、アメリカという名称はべつとして、United States of America で、もとは各洲の集まりであって、国旗の星の数が増えていった。だから日本も一つの星になるのではないかといった冗談が云われる。

アメリカ独立の憲法を創り、まずアメリカの為にと宣誓したアメリカ市民が、いくら国連といっても、「否」を投票しても誰も文句をいうことは出来ない。

日本も明治維新のあと、廃藩置県で日本国になり、憲法をつくり、また新憲法になって60年たった。この間数回変更があった国もあれば全く変更がない国もある。色々の行動・発言に憲法違反だという人もいれば違反でない人もいる。最高裁の判断も全会一致というわけにはいかない世の中である。

アメリカの「大リ−グ」が「リ−グ」といっているのをみれば、「仲間内」と理解すればいろいろのことが納得される。

NYヤンキ−スだけが「背番号55」だけで「MATSUI」という名前がないのも、それなりの意味があるのであろう。オリンピックへの野球とは関係ないし、いくら長嶋さんががんばってみてもと思う。「六大学野球」がら野球が発展展開し「プロ」になりといった展開が今後どうなるのであろうか。(20040115)

(弘前市医師会報,39巻5号通巻297,40−41,平成16.10.15)

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