2004年新年のご挨拶

 

1)大晦日のTVは紅白でしたか K−1曙・サップのほうでしたか?

2)紅白は今年話題の人、”マツイ”のバットで開幕。デジタルの投票の決定権が”家ではおやじ”の発言が印象的でした。ヤンキ−の監督との会話のTVをみた後だったのでとくに。

3)1月1日”新聞各紙”を求めに修の運転で弘前駅へ。久しぶりのJR弘前駅は改造中でびっくり。

3)今年のテ−マはみあたらない。各紙社説もまちまち。特集もまちまち。”アテネ”を除いて。

4)年末に戦後カ−ン博士の科学的指導で世界チャンピオンになった白井義男さんが80才で肺炎で亡くなったとか。。カ−ン博士が亡くなるまで世話をみたとかの美談あり。この時”conditioning”という言葉を聞いた記憶がある。また同じ頃アメリカからの子供の便りに”家にはair-conditionerがあります”という言葉と共に記憶に残ったことを思い出した。

5)「医者であった父を軍医としてアッツ島で亡くした遺児の一人です。私の生後二日目に出征した父(41歳で招集)を知らず、赤十字腕章を付け軍刀を抱えた軍服姿の写真が父の印象の全てでした。齢60を超えて思い立ち、「軍刀」の研究を始めまして昨年末「旧日本帝国陸海軍軍刀」というホームページを立ち上げました」「海軍太刀型軍刀の項目に海軍士官の軍刀を吊った写真を探して居ります。海軍の第二種軍装の写真をさがしております」とメ−ルを受けた。早速アルバムにあった写真を送信。ああそういえばあの軍刀は父が家にあった銘刀でつくってくれたもの。終戦後GHQの命に従って出したことがあったっけ。

5)アメリカで”BSE(牛海綿状脳症)”一例報告され、直ちに日本など輸入禁止。吉野やの牛どんはピンチ。いろいろな意味でアメリカがためされている。

6)朝日新聞に”へえ−”の記事があった。東京では流行語になっているとか。”フジテレビ”がない”文化格差”のある地方では・・・と修一家がわか家に来ての感想。

7)小泉首相靖国参拝のニュ−スがTVのテロップに流れ、直ちに中国・韓国からの反響があった。どう考えたらよいのか。

8)こちら毎日温泉かよい。一皮一皮づつ新しい年を迎えて。皮膚科の先生に聞いたら数ヶ月かかるとか。

9)年賀状の添え書きに一人一人の顔を思い浮かべながら。

10)世界・日本各地のお正月の様子を枕元のラジオを聞きながら夢うつつ。

 修一家と 草の庄にて(1月3日)

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