高血圧における食塩因子

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ロンドンから帰国後、報告内容を日本語にして日本医事新報に投稿したが、No.2426,30-31,昭和45.10.24.号に掲載された

 

 高血圧についての疫学的研究は、人間の集団の血圧の観察からはじめなければならない。そのためには、まず地球上に住む人類が、はたしてどんな血圧をもっているかを知らなければならないだろう。

 この報告においては、日本人の血圧が国際的にみてどのような位置づけにあるかを示し、日本人の食生活において、極めて特徴のある点として指摘されなければならない食塩多量摂取と高血圧との関係について、われわれが今まで行ってきた疫学的研究から考えられることを述べてみたいと思う。

 血圧水準を国際的に比較するときには、血圧測定方法の基準が統一されていないことが問題となるが、世界各地で行われた各種人口集団の調査報告のうち、性別・年齢別の血圧平均値を知ることのできる報告をあつめたところ、男性の最高血圧について図1に示すようになった。

 これらの血圧水準に関する報告のうち、その対象集団の食塩摂取量の実測されているもの、又同じ地域での他の報告から、食塩摂取量が推測できるものについて検討してみると、食塩摂取が一日一人当たり10g以上の地域では、若い年齢においてすでに血圧水準は高く、加齢にともなって血圧平均値は上昇するが、5g以下の地域では若い年齢で血圧水準は低く、加齢にともなって上昇していないことが認められた。

 図2は主な例を示したが、一般に文明化した社会においては食塩摂取量は10g程度であり、血圧水準は若い時から高い。日本における例として、大阪、広島および東北地方の住民の血圧水準と食塩摂取量が示されている。東北地方では一日一人当たり20gの食塩摂取はごく普通にみられるのである。このような食塩摂取と血圧水準との関係は、さらに国際的な調査研究によって確かめられる必要がある。

 日本の各地で、各種人口集団について調査された報告を検討してみると、全般的に高い水準にあり、日本の中でも地域差、集団差が認められるが、ほとんどの集団において加齢にともなって血圧水準は上昇している。若い年齢の血圧水準の高い集団では、その高年齢層の血圧水準も高いことが示されている。

 われわれはこのような各種人口集団の全体的な血圧水準と個人ごとの血圧の分布状況を分析検討することによって、各種人口集団の血圧水準と分布の型について、図3のような図式として理解できるのでないかと考えた。すなわち生後発育にともなって上昇する血圧は、若い年齢層においてすでにそのレベルに差ができ、若い年齢層で血圧水準の高いような人口集団では、そこで同じ生活が続くかぎり、加齢にともなって血圧水準は上昇し、分布の型にゆがみをましてくる。われわれが10年以上も同じ人口集団を追跡調査することによって明らかになったことは、図に示した上限のdead line に近づくに従って、高血圧からくる脳血管疾患による事故が発生し、死亡するということであった。

 日本人が国際的にみて、極めて多量の食塩を摂取していることは、日本人の長年にわたる食習慣に左右されていることはたしかである。農民栄養調査成績によると、日本人の農民は、一日一人当たり19gの食塩が摂取されている。米を主食とし、みそ汁、つけもの、塩づけの魚をとり、じょうゆを調味料として用いており、その結果として、多量の食塩を摂取していることになる。そして日本人の食塩摂取量の地域差は、みそ汁の摂取量に関係していることが認められている。

 食塩摂取量を間接的に示すみそ汁の摂取杯数と血圧との関係を全国的に検討して成績によると、一日におけるみそ汁の摂取杯数が多いほど血圧水準は上がり、分布の型のゆがみがますことが示されている。

 日本国内の各地での調査報告、またごく隣り合った部落という人口集団の比較調査でも、血圧水準が異なるとき、その差は、食塩摂取量と平行しているという報告は多い。

 しかし、人口集団全体についてみると、食塩摂取量と血圧水準は相関関係が認められるが、その集団の中での個人ごとに検討した場合、その個人と、現在の食生活からくる食塩摂取量との間には、相関関係がほとんど認められないことが指摘されなければならない。

 例えば、表はその一例を示すものであるが、ある農村で、15組の中年の夫婦の血圧と尿中食塩排泄量を22日間にわたって調査した成績をまとめたものであるが、夫と妻との間には、尿中食塩排泄量には(+)0.627という、5%の危険率で有意な相関関係が認められるが、夫と妻との間には血圧の相関関係は認められず、全例について血圧と尿中食塩排泄量との間には、有意な相関関係は認められない。これだけの成績で、食塩摂取が血圧水準と関係がないとすることは早計であろう。同じ家に長年すみ、同じ食生活をしている夫と妻の血圧に相関関係が認められないとする他の多くの報告から考えられることは、もし食塩摂取が血圧に関係あるものだとしても、その作用点は、結婚前のかなり若い年齢にあるのではないかとの推測が生まれるのである。ある個人が生まれ育って一生どのような血圧を持ち続けてゆくか、それに食塩がどのように関係してくるのかを明らかにしなければならない。

 食塩多量摂取のある中で、日本人の血圧が個人として、どのような経過をとるかについて、われわれはまだ15年の追跡調査の成績しかもっていない。今日までに明らかになってきたことは、小学生というような若い年齢の血圧でも地域差があり、同じ集団の中でも個人ごとに高い水準の者、低い水準の者がおり、それが10年後の成人になったときの血圧と相関しているということであった。

 1957年以来、世界一食塩が多くとられている考えられ、若い時から高血圧が多く、脳出血が若いおこるという東北地方の秋田の一農村において、昔からつづいていた食塩多量摂取を少なくするという高血圧対策を行ってきている。今日までに食塩摂取が少なくなるような食生活の変化が認められているが、この村の人達の血圧は加齢にともなって上昇は認められれず、若い時代の血圧を持続させていることが観察された。

 さらに興味のあることは、同じ村の中学生の血圧の推移である。図4は入学年別・コホ−ト別に、又同じ学年の血圧の推移が示されている。発育と共に血圧は上昇するが、その水準は初めの5年間に低下を示した。この中学生の身長とか体重からみた発育状況は向上しているので、栄養状況が悪くなったためではない。高血圧対策の中心になった食塩摂取の減少による影響ではないかと考えられるのである。

 このように食塩摂取が高血圧と関係ありとすれば、その作用点はかなり若い年代にあることが追跡的疫学調査によって推測されるのであるが、この推論はさらに実験的疫学によって確かめられるべきものである。

この報告は昭和45年9月ロンドンで開催された第6回世界心臓学会議の円卓会議「高血圧の成因」において発表されたものである

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