16 地球疫学からみた人々の血圧と食塩摂取に関する仮説

 

 われわれが日本の東北地方の人々について血圧を測定し始めた昭和29年は、人の血圧、とくに高血圧をどのように考えるかについて、国際的にも国内でも種々論議されていた時代であった1)。

 すなわち、1954年ピッカリング(G.W.Pickering)は「高血圧という疾病は正常状態からの量的な偏位にすぎない、質的なものでない」という考え方を報告2)し、高血圧は高血圧症として一つの実存物としての疾病(a disease entity)と考える学者に対して国際的に論争を駆り立てた時代であり、また日本でも人々の血圧についての多くの資料をもつようになった生命保険医学者たちによって血圧の分布型について色々の考え方が報告されていた時代であった。

 その当時はまだ一般に生活している人々について「疫学的接近」によって血圧を測定した例は殆どなく、われわれが血圧計を手に東北地方の人々の血圧を測定し始めたことを、「疫学的研究」の原点として意識したのであった3)。

 

 われわれが一般に生活している人々について、血圧測定方法や記録方法を決めて血圧を測定し、統計をとってすぐ解ったことは、同じ年齢群で比較しても、対象ごとに血圧の平均値や分布が異なることであった。また血圧を小学生や中学生といった小さい人達から年寄りまで測定したのだが、血圧の平均値の高い地域では、血圧は小さいときから高いようだ、また血圧値の分布が最高血圧においては正規分布から高い方へずれて歪みがでるようだと考えられた。また同じ対象を夏と冬と測定してみると、冬血圧は上がり夏は低くなるという季節変動を繰り返していることが判明した。東北地方の人々の血圧は日本の他の地方で測定されている血圧値と比べてみると高いこともわかった。

 個人の血圧を同じ人について何回も繰り返して測定してみると、血圧の高い人はいつも高めで、低い人はいつも低めで、個人としてその集団の中で血圧のしめる位置がありそうだといったことが考えられた。

 このように一般に生活している、いわゆる健康な人を患者も含めてその地域に住む人々について実際に血圧を測定した値にもとずいて、人および人々の血圧をどのように考えたらよいであろうかと考えた。それが「血圧論」4)になった。  

 「血圧を評価するときには、個人の属している社会集団の血圧について集団評価を行い、ついでその集団の中の個人の血圧について個人評価を行わなければならない」という考え方をもつに至った。

 この考え方は単に血圧についてというだけでなく、「過去から現在までに取り上げられてた、疾病観ないし健康観の将来への発展、橋渡しとしての思想に関する重要な問題と思われ、現在問題になっているコミユニテイ−・ダイアグノ−シス(Community diagnosis)や、健康の指標の概念に通じるものである」と述べた5)。

 

 われわれの血圧測定値をもとに「血圧論」を考え、「多要因の函数としての血圧値として、個人の血圧値と社会集団に共通な要因」として、東北地方の人々の血圧に大きく関与している社会的要因を考えると、日常摂取している食塩が、小さいときから血圧を高め、加齢とともに最高血圧の分布を高い方へ歪みを起こす要因になるのではないか、そこに「食塩過剰摂取の疾病論的意義があるのではないか」と考えたのであった6)。

 

 1965年から66年にかけてアメリカのミネソタ大学に客員教授として滞在している期間に、今度は世界各地における血圧測定値について検討することができた。

 病院や診療所で測定された患者の血圧値ではなく、一般に生活している人々の血圧値、それは世界各地で人類学上測定されたものが大部分であったが、いわゆる人口集団調査(population survey)の論文を総て検討することであった。そして国際的視野からみた日本人の血圧としてまとめることが出来た7)。日本人の血圧に関するものは1970年度までに発表になった211の文献,日本人以外のものは1969年度までに発表になった86の文献によって考察された。

 その結果日本人の血圧は日本国内でも各種人口集団ごとに、性別・年齢別にみた最高血圧平均値および標準偏差からみた血圧水準と分布に差があるが、国際的にみた場合、他の地方にくらべた場合、一般に高い水準と巾広い分布をもつ報告例が多いことが認められた。

 そしてこれらの血圧水準と分布に関連する要因の探索に国際的な計画的な疫学調査の必要性を指摘したが、また同時にその地方の人々の日常摂取している食塩あるいはカリウムとのNa/K比との関連についてまとめてみると、そこに一定の関連が認められるのではないかとの「作業仮説」を述べた8)。

 すなわち各種人口集団の血圧水準や分布とその地域で日常摂取されている食塩との関係をみると、成人になった時の最高血圧が正規分布するものと考え、平均値が120mmHg、標準偏差10mmHgとみると、その上限は150mmHgになるが、このような最高血圧の分布からはずれるのは食塩を1日5グラム以上摂取している人々であり、それからはずれると分布が乱れてくることが認められた8,9)。この5グラムがまた人々が日常摂取する食塩の上限にしてはどうか、この位の食塩を食べて元気で生きていけるのではないかとも考えた10)。

 

 ちょうど宇宙船が地球をまわり始めた時期でもあった。

 1970年ロンドンで開催された第6回の世界心臓学会での高血圧の成因に関する円卓会議で「高血圧についての疫学的研究は、地球上の各地に住む人々がはたしてどのような血圧をもっているかの観察から始めなければならない」と述べ、日本人についての観察や国際的に血圧測定値を整理してみての成績を述べたのであったが、これらの資料は疫学的にいえば「横断的疫学調査」による資料であって、将来国際的に計画的な疫学的研究によって検討しなければならないこと、またとくに日常摂取されている食塩との関連は検討されなければならないことを報告した11,12)。

 

 1973年ミシガンのグライベルマン(L.Gleiberman)は世界各地における人口集団の血圧水準と食塩摂取についての文献をまとめて検討した結果を報告した13)。

 われわれが報告した日本からの資料を含め世界の30の文献によって、それは横断的疫学資料ではあったが、27の人口集団の50歳代の男女の血圧平均値と食塩摂取量との間には相関関係が認められ、食塩1日1グラムの集団から日本の秋田の27グラムまで、最高・最低血圧とも高くなり、その両者の関係を直線として示した。そして日本と台湾では食塩摂取が血圧にたいしての最も有力な環境因子ではなかろうかと思われると述べた。

 食塩の摂取量と血圧の平均値、それも年齢を区切ってはいるが、平均値で検討したので、必ずしも両者の関係が直線的であるかどうかは問題のあるとことであり、また血圧の分布といった検討はしていない。

 

 1966年インドで開催された第5回世界心臓学会の際誕生した循環器疾患の疫学と予防のための会議(Council on Epidemiology and Prevention)が1982年に行った「循環器疾患と予防に関する10日間国際セミナ−」で世界中の会員が中心になって計画され実施にうつされることになった食塩と血圧に関する国際共同研究(INTERSALT study)14)の結果が1988年になって一部報告15)された。世界32カ国、52施設の協力のもとに、約1万人を対象として、世界的規模で24時間排泄量からみたナトリウム摂取などのミネラルと標準化した血圧測定方法による血圧測定値との関連を検討したものであった。ナトリウム排泄量はブラジルのヤノマモ・インデイアンの0.2mmol/24hから中国の242mmol/24hまで分布し、ナトリウム排泄量と血圧は正の相関があることが確認された。このデ−タから毎日のナトリウム摂取量を100mmol(食塩量に換算すると、5.8グラム)減らすと、平均最高血圧が2.2mmHg低下すると計算された。 

文献

1)佐々木直亮:日本人の高血圧−疫学の成果と展望−.日本保険医学会誌, 79, 59-92, 1981.

2)Pickering,G.W.:The nature of essential hypertension. p.3, J. & A. Churchill, London, 1961.

3)佐々木直亮:人々と生活と.第49回日本民族衛生学会総会記念写真集, No.238,1984.

4)佐々木直亮:血圧論.弘前医学,14(3), 331-349, 1963.

5)佐々木直亮:高血圧者ふるい分け検診についての問題点.日本公衆衛生雑 誌,9(7), 287-291, 1962.

6)佐々木直亮:脳卒中頻度の地方差と食習慣「食塩過剰摂取説の批判(福田) 」の批判.日本医事新報,1955, 10-12, 1961.

7)佐々木直亮:国際的視野からみた日本人の血圧.弘前医学,26(3.4), 327 -349, 1974.

8)佐々木直亮:疫学面よりみた食塩と高血圧.最新医学,26(12), 2270- 2279, 1971.

9)佐々木直亮:高血圧と食塩摂取.栄養と食糧,31(4), 301-310, 1978.

10)平田清文、佐々木直亮:日本人の食塩摂取はどうあるべきか(対談).  臨床栄養,54(5), 413-424, 1979.

11)佐々木直亮:高血圧における食塩因子.日本医事新報,2426, 30-31, 1970.

12)佐々木直亮:第6回世界心臓学会議に出席して.学術月報,23(10), 655- 657, 1971.

13)Gleibermann,L.:Blood pressure and dietary salt in human populations. Ecology of Food and Nutrition. 2, 143-156, 1973.

14)橋本 勉:食塩と高血圧−INTERSALT Study-. 公衆衛生,51(10), 714-  718, 1987.

15)Intersalt Cooperative Research Group:Intersalt:an international  study of electrolyte excretion and blood pressure. Results for  24 hour urinary sodium and potassium excretion. Brit. Med. J.,  297, 319-328, 1988.

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