11 血圧とのかかわり

 

 東西の医学において「脈」の認識は人々の触覚によって早くから認識されていた。動脈硬化のことをスクレロ−ゼ(sclerosis)というが,この語源はギリシヤ語のskleros(硬い),-osis(状態)ということであり,また中国の黄帝内経に食塩をとりすぎると脈行が悪くなるという記載があることは前に述べた。

 しかし「血圧」という概念は生理学の研究が展開される中で認識された。

 1711年頃からヘ−レス(S.Hales, 1677-1761)は動物の動脈に管をさして,血液が血管壁に圧を働かせていることを観察している。動物の大きさや,興奮のとき,出血のとき,左心室の鼓動によって血圧が違うとか,暖かい水が圧を緩め,冷たい水,キニ−ネ,肉桂やアルコ−ルは細い血管を収縮するなどの影響があることに気が付き,その観察の結果を1733年に発表している。血圧測定の方法論からいえば血管に直接管を差し込んで血圧を観察するから直接的な観血的な方法である。

 脈について体外から間接的に圧をみる脈圧計(sphygmomanometer)による血圧測定はバッシ(S.von Basch, 1837-1905)にはじまり,その圧の正常値は水銀柱で135-165ミリであり,先に述べたブライト病の場合は血圧値は200ミリをこえると1880年記載された。リバロッチ(S.Riva-Rocci, 1863-1937)ははじめて触診によって最大血圧値を知り,臨床に応用できる簡便な水銀血圧計について1896年に報告した。その血圧測定の原理は現在に引き継がれているが,上腕にまくゴムの袋(ドイツ語でマンシエツテ、英語でカフ)の巾が狭かったのを,レックリングハウゼン(H.von Recklinghausen)はカフの巾を5cmから11-13cmに増やすことによって正確な血圧値を得るようになったことを述べた。コロトコフ(N.S.Korotkov, 1874年生)は聴診器を上腕の窪みの脈どころにあてて「リバロッチのカフを上腕に巻き、完全に循環が止まるまで圧を上げてから、圧を下げてくると、はじめはなんの音も聴こえないのが、あるところへくると、はじめて短い音が現れ、これが最大血圧に相当し、・・・」と聴診法によって最大血圧・最小血圧を知ることのできる血圧測定法を1905年(明38)に発表した。この方法は血管に直接管を入れるという血をみるのと違って非観血的な方法で,聴診法による間接的な血圧測定方法であった。臨床にすぐ用いられる方法であったので,すみやかに全世界に広まった1−3)。

 このような血圧測定の前にはハ−ヴイ−(W.Harvey, 1578-1657)の血液循環の理論(1728年)があり,レンネエク(R.T.H.Laennec, 1781-1826)の聴診器の考案(1819年)があったことは勿論である。

 臨床医学において血圧測定が行われるようになるとまず前述の腎臓疾患としてのブライト病における高い血圧が問題になったようである。

 1898年チイゲルシュテット(R.Tigerstedt)とベルグマン(P.G.Bergmann)はウサギに静脈注射して血圧の変化を調べていたところ,他の臓器抽出液では血圧は変動しなかったが,腎抽出液では明らかな昇圧反応を認め,この昇圧物質をラテン語の腎臓(ren)に因んでレニン(renin)と命名した。

 その後の研究の展開によって,レニン・アンジオテンシン系の確立などレニンと高血圧の関連が解明されることになった4)。

 腎動脈血圧が低下するという変化があると,腎からレニンが分泌され,これが血液中のアンギオテンシノ−ゲンに作用してアンギオテンシンIとなり,血液中の転換酵素の働きでアンギオテンシンIIとなる。これが副腎皮質からのアルドステロン分泌を上昇させ,腎尿細管でのナトリウム・イオンの再吸収を増し,細胞外液のナトリウム・イオンが増加し,細胞外液量が増加,血圧が上昇し,正常になると考えられている。

 また細胞外液中のナトリウム過剰は,反対にアルドステロンの分泌低下を起こし,腎尿細管のナトリウムの再吸収がなくなり,尿にナトリウムが排泄されて,細胞外液量の調節にあずかると考えられている。

 1934年に至りゴ−ルドブラット(H.Goldblatt)らはイヌの腎動脈を狭窄すると血圧が徐々に上昇することを見つけ,実験的に高血圧動物をつくることに成功した。

 起こされた病変が高血圧性心血管病として認められるには,血圧の上昇・心肥大・血管の変化の三つが揃うことが必要であるが,種々の実験的高血圧症5)が検討された。副腎皮質に関係した実験高血圧症(例えばステロイドとしてDCA(desoxycorticosterone)など)と食塩との関連が検討される中で,食塩の投与のみで動物に高血圧症を起こすことができる食塩性高血圧(salt hypertension)の報告がされるようになったのは1950年以来である。

 サピルシュタイン(L.A.Sapirstein)らはラットに1.5-2.5%の高張の食塩水(NaCl)を飲ませることにより高血圧症を起こすことを報告した。この研究は,飲料水の代用として腎臓の調節機能に負担(tax)になるに十分な濃度の食塩水を動物に与えると,細胞外液の動揺は増し,高血圧がおこるかもしれないという仮説を試みるために計画されたものであった。その結果6週間の実施期間内に1-4週間で高血圧の起こること,心臓や腎臓が肥大したことが認められた。このように高張の食塩水を与えるだけのことで,簡単な金のかからない実験的高血圧を起こす方法が報告された6)。

 わが国でもサピルスタインの報告とは関係なく,奥津国福は食塩性高血圧について1950年に報告している。それは当時高熱作業者,重筋労働者に対して食塩摂取が奨励され,鉱山労務者のごときは1日50グラム近い食塩を摂取するというような食塩過剰摂取が長期にわたって行われることがはたして何等障害を残さぬかどうかという問題がこの研究の出発点であったと述べられている。家兎に体重1キログラムにつき2グラムの食塩を連日摂取させたところ,約30日目頃から血圧が上昇することを認め,これを「食塩性高血圧」と命名した7)。

 メネリ−(G.R.Meneely)らは1952年から1954年にかけて,慢性食塩中毒についての研究を報告している。ネズミに大量の食塩を与えた場合の腎の障害,また飼料中の食塩濃度と最高血圧との間に高度の相関があることを示した。すなわち飼料中0.15%の食塩を含む場合を対照として,0.01%の低食塩食,2.8%,5.6%,7.0%,8.4%,9.8%の食塩を含む飼料を与え,飼料と水は自由にとらせるという実験であった。この成績は原因(cause)と影響(effect)との関連をよく示したものと考えられた8)。

 

 血圧を維持することは生命保持に必要な条件であり,とくに出血などによる血圧低下は問題であり,血圧の生理的調節機能について研究された。

 ガイトン(A.C.Guyton)ら9)は多くの異なった調節機構によって,あるものは速やかに,あるものはゆっくり,それぞれの血圧の平衡状態を保つようフィ−ドバックされているが,長期にわたって高血圧を維持するためには,腎の水分と食塩の排泄能と生体の水分と塩分の摂取の絶対量の相互関係が重要であると考えた。このような生体恒常性維持機能の仕組みの解明が,現代循環生理学の中心課題であって,さらに詳細に検討・解明されることになるであろう。

 

 わが国で日本人について血圧測定が行われるようになったのは明治の終わりから大正にかけての頃であった。臨床的に患者の血圧が測定されるだけでなく,血圧の生理学的研究,病理学的研究,実験的高血圧研究が行われ,また同時に展開中の内分泌学との関連が検討された。臨床医学的には高血圧をもった患者の予後が検討され,生命保険事業の中における生命保険医学によって血圧との関連が研究され,また広く人類学的研究への血圧の応用と同時にさらに疫学的研究の中で高血圧の研究は展開されることになった10)。

 

 疫学的研究については後で述べるが欧米では心臓疾患としての動脈硬化性虚血性心疾患との関連において,わが国では脳血管疾患としての脳縊血(脳卒中)についての疫学的研究が展開される中で,血圧,とくに高血圧についての研究が展開されることになった。

 

 われわれが疫学的研究を開始したのは昭和29年であるが,この時点での「高血圧」についてのわが国における定義・統計と病理・病因・診断・経過及び予後についてみると,次のような点が記載されている11)。 

 「高血圧症とは心腎脈管の系統疾患の一つで、血圧が最高、最低において異常に高いということがその疾患の中心症状となっている。普通その経過は非常に緩慢で10年以上に及ぶが、中には比較的迅速な経過をとって1-2年以内の短日月で死亡の転帰をとるものもある。前者は良性高血圧症、後者は悪性高血圧症といわれる。その区別は主として眼底所見に目標がおかれている。」

「死の転帰は卒中、心不全、腎不全であり、悪性の際は主として急性腎不全である。」といい、「高血圧というものは一つの症状にすぎない。だから他の症状と場合と同じように、その原因はいろいろでありうる。しかし今日その原因の分かっているものは極一部で、殆ど大多数のものはその原因は皆目分からない」とし,腎性疾患,脳神経疾患,最近頓にその重要性の注目されだしたものはいろいろの内分泌性疾患であるとしている。

 その中で浅野誠一は食餌療法について,食塩制限が治療上有効であることを示した「牛乳療法」「ケンプナ−(Kempner)の米果実砂糖食餌」を紹介し,食餌のうち摂取量の制限を行って高血圧を治療しうる可能性あるものはナトリウムであることを述べている。ナトリウムの制限を行って効果をあげるためには極めて厳格な制限を必要とし,患者の約半数にその効果がえられるが,その実際的方法は極めて困難である。従って低塩食療法を一般に用うることは,可能性も必要性も乏しいと考えなければならない。しかしナトリウム過剰は血圧を上昇するが故に,食塩摂取は厳に戒める必要があり,また他の治療に反応しない高血圧患者に対しては低塩療法も有効な手段となろうと述べている。

 昭和29年というとわが国でも「高血圧」か「高血圧症」かを一つの実存物としての疾病(a disease entity)であるかが論議されていた時代である。

 ピツカリング(G.W.Pickering)が高血圧という疾病は正常状態からの量的な偏位にすぎず,質的なものでないという考え方を述べて12),国際的に論争を駆り立てた時であり,われわれが「血圧論」13)を昭和38年の日本医学会総会のシンポジウムで報告したときも標題は「高血圧症」であった。

 昭和37年に「高血圧全改訂版」が発行されたときには,その後展開された高血圧の疫学調査研究による食塩と高血圧との関連が紹介されることになった。 

文献

1)Ruskin,A.:Classics in Arterial Hypertension. Thomas, Springfield,  1956.

2)川喜田愛郎:近代医学の史的基盤下.p.934, 岩波書店,東京,1977.

3)佐々木直亮:循環器疾患 A高血圧(藤原元典ら編:総合衛生公衆衛生学), 南江堂,東京,1978.

4)国府達郎,山本研二郎編:レニンと高血圧.メデイカルトリビュ−ン, 東京,1986.

5)曽我部博文:実験高血圧症入門.英光堂,東京,1968.

6)Sapirstein,L.A., Brandt,W.L. and Drury,D.R.:Production of hypertension in the rat by substituting hypertonic sodium chloride solutions for drinking water. Proc. Soc. Exper. Biol. & Med., 73,  82-85, 1950.

7)奥津国福:食塩性高血圧に就いて.日本生理学雑誌,12, 362-367, 1950.

8)Meneely,G.R., Tucker,R.G., Darby,W.J. and Auerbach,S.H.:Chronic sodium chloride toxicity in the albinorat. J. Exp. Med., 98, 71- 79, 1953.

9)Guyton,A.C., Coleman,T.G., Cowley,A.W., Scheel,K.W., Manning,Jr.R. D. and Norman,R.A.:Arterial pressure regulation. Amer. J. Med., 52, 584-594, 1972.

10)佐々木直亮:日本人の高血圧−疫学の成果と展望.日本保険医学会誌, 79, 59-92, 1981.

11)前川孫三郎,他:医学シンポジユム第5輯「高血圧」.診断と治療社, 東京,1954.

12)Pickering,G.W.:The nature of essential hypertension. J. & A.  Churchill, London, p.3, 1956.

13)佐々木直亮:血圧論.弘前医学, 14(3), 331-349, 1963.

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