槙 哲夫先生への返事

 

 小文(外胚葉芸術論)がお目にとまったようで嬉しく、また数々の貴重な資料お送り下さいまして本当に有難うございました。

 

槇哲夫先生と 医学部50周年記念会のとき 平成6年

 小生戦後慶応の衛生学教室に入りましたときは、草間良男先生は学部長になられ、原島進先生が教室を主宰されておられました。原島先生は生理の加藤元一先生の助教授で、衛生へ移られた方です。京都府立大の生理学の教授選考のとき候補の一人になったと聞いております。でも吉村壽人先生とは仲がよく、その後季節生理の研究をご一緒にやられました。われわれ若い者は原島先生のは「応用生理学」で「衛生学」ではないなどと意見を教室でいっていたものです。

 その原島先生が東京の四中の同期(?)の緒方富雄先生、当時東大の助教授でした、とご一緒にキャノンの「The way of an invesigator」の翻訳本を出される計画があり、小生がその下訳のアルバイトを仰せつかったというわけでした。この点は随筆ではふせました。いまでしたらコピ−を取っておくところでしょうが、原稿をわたしたきりで、いまは手元にありません。どんな理由かは分かりませんでしたが、その本は出版されることがなく時がすぎました。アルバイト料は戴きましたが。

 1965年アメリカのミネソタ大学に文部省在外研究員として滞在していた時古本屋で1945年の初版本を見つけて購入しました。それがいま手元にあり時々みたりしているといったわけです。

 

 これも私の「衛生の旅」の一頁にあるエピソ−ドの一つということになるのでしょうが、「ハンチ」のことは今も気になっていることなので、つい書いてしまったというところです。

 

 そんなことで慶応におりましたときは教室全体のテ−マは「生理学」的であったと思います。従って原島先生が戦後教授になられ最初に出された「人間有機体」(金山文庫,群馬県太田市,1948)の雰囲気にあったと思います。研究も人間の調節機能、適応とか順化、が主なテ−マでした。

 ところが弘前へきて東北地方の生活をはじめ、見聞きすると、余りにも環境、それは物理的環境だけでなく社会的環境が違うことでした。それが人間の健康とどう結びついているかと。

 丁度先生の胆石の組成のアイデイアと同じではないかと思うのですが。

 

 先日「りんごと健康」(第一出版)をだしました。いまそのつづきとして「食塩と健康」の原稿をまとめております。

 その中で一番問題になり、これをどのように書くか考えている問題が「人々の塩に対する好み」の問題です。先生の書かれた「生物学、いや肉体に立脚した哲学」の中のもっとも人間らしいものとの関係です。

 

 13歳歳上の先生の頭脳に少しは刺激を与えたことになりましたか。

 先生にまけないように、ゴルフの練習だけは、ほんの少しだけ毎朝やっております。

 お元気で。(3-8-21)

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