弔詞

 

 成田君

 君の弔詞を私が読もうとは順序が逆です

 昭和一けた生まれの男性が 早く亡くなる傾向があるとの研究を報告したことがありましたが 一番医学に近いはずの君が このようなことになってしまったことは残念でなりません

 いろいろと思い出すことが多いのですが お礼の言葉と 思い出のいくつかを申し上げて お別れの言葉としたいと思います

 弘前大学医学部は近く五十周年を迎えますが 君はその基礎づくりをして戴いたということで お礼を申し上げたいと思います

 衛生学教室を 初代教授の高橋英次先生と たった二人で 作り始めたと聞いております 

 私が弘前へきた昭和二十九年には その基礎づくりがすんだあとでした

 佐藤尹(ただし)君 それが初めて君にあったときの お名前でした

 そして津軽の結婚式によばれたのが ついこの前のような気がします その後成田姓をなのるよになりました

 大学本部の そして病院の事務にうつられてから また元気で働いている君をみて安心しておりました

 われわれにも心やさしい人でしたが 奥さんお子さんお孫さんにもやさしい人だったのでしょう 病気になったあと 奥さんは ほんとうによく看病されたと思います 最後の別れに とうさん とうさんと 声のかぎりに泣かれた奥さんの姿を拝見すると 本当によい結婚生活 家庭生活を送られたと思います

 大鰐の山で 息子さんにスキ−を特訓していた君の姿が 瞼にのこっています

 お家族を残しての旅立ちは心のこりであったでしょう

 バドミントンや 野球や スキ−がすきだった君が 息子さんと思いっきり駆け回っている姿を想像します

 また本当に男らしい君の姿をいつまでも覚えていたいものだと思います

 やすらかにお休みなさい さようなら

 平成四年一月十七日            ささきなおすけ

   (君に呼びかけているようで 他人に聞かせる弔詞)

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