戦後民主主義」に思う

 

 1994.10.13.ストックホルム発外電はすぐさまNHKの臨時ニュ−スとして流れ、翌朝新聞のトップ・ニュ−スとして各紙第一面を飾った。

 「大江健三郎氏のノ−ベル文学賞受賞」のニュ−スであった。

 そして翌日また「文化勲章辞退」のニュ−スも大きく取り上げられた。その辞退の理由として「僕は戦後民主主義者 国家の勲章受けない」「僕は戦後新制中学で、国家の勲章と関係なく個人が自由に生きていける社会になったと教えられた。僕はそれは良いことだと思った。それが僕たちの戦後民主主義の印象です」「私は戦後民主主義者であり、そういう自分には文化勲章はにあわない。文化勲章は国家と結びついた賞だから」と報道された。これらのニュ−スの中に「戦後民主主義」「戦後民主主義者」という言葉が登場した。そして新聞各紙によってそのニュ−スの取り上げ方、記事に相違があることも興味があった。

 朝日は朝日なりに、産経は産経なりに。

 産経では一言でいえばと「自国の歴史を汚染にまみれた過去とみるイデオロギ−である」「常に個人を国家と対照させ、反国家・反体制のポ−ズをとり、それが進歩的・文化的の市民と考える」と極言していた。また読売に「ここで語られた戦後民主主義という言葉のなんと鮮やかで輝かしいことか。それは大江健三郎氏の姿勢の根幹をなす戦後民主主義へのこだわり、深い思い入れが同時代に生きた者として・・・・こだわり続けたい」(評論家下重暁子氏)というのもあった。

 「戦後民主主義」というはっきりした概念があるとしたらそれを知りたいと思う。

 前に「言葉のもつ意味」ということについて書いたのだが、格好の例題なのですこし考えていることを書いておこうと思った。

 なぜなら前に書いた「言葉のもつ意味」ということからすれば、同じ「民主主義」という言葉にも時代時代によってことなった意味があるのではないかと思うからである。

 

 百科事典に述べられているところをみれば「日本の民主主義の起源は、明治維新における自由民権運動にまでさかのぼることができよう」「1874年の民撰議院設立建白に始まり、国会開設請願運動を経て、自由、改進両党の結成にいたる自由民権運動は、明らかに国民の政治参加の拡大をめざす民主主義運動であり、運動の目標には国民主権確立の要求も含まれていた。しかし、明治憲法の制定によって、天皇制絶対主義が確立されたために、民主主義のある限られた一部分が天皇制国家の枠内で辛うじて存続しえたにすぎない。」「第2次大戦後の占領軍の<民主化>政策は、明治憲法体制を解体し、日本の民主化を決定的に推進した。」とある。

 「民主主義」は「democracy」と同意語として語られているが、「そのデモクラシ−も語源的には<人民の権力>を意味する古代ギリシャ語の<demokratia>を語源とし、それがラテン語を経由してヨ−ロッパ各国の近代語の中に受け継がれたものである。」

 そしてフランス革命およびアメリカ独立革命後のアメリカにおける民主主義の展開があり、今度の選挙で話題になった「民主党」「共和党」に至っている。またマルクスが<共産党宣言>(1848年)の中で<労働者革命の第一歩は民主主義を戦いとることである>と述べたこともあった。中国では革命の綱領として登場した孫文の<民族・民権・民生>の<三民主義>からの展開がある。

 その他、<社会主義><共産主義><科学的社会主義>などなど。

 日本の政党の党名もいろいろである。

 英字新聞をみると、自由民主党は「liberal-democratic party」、社会党は「social-democratic party」とある。最近では「future」とか「SHINSEI」とか苦労してしている。

 こんどできる党名は何になるのだろう。<新・新党>なら無難だが、アンケ−トで一番多かったのは「平和党」だったという。

 

 ニュ−ヨ−ク・タイムス11-6付けによると「私が文化勲章の受賞を辞退したのは、民主主義に勝る権威と価値観を認めないからだ。これは極めて単純だが、非常に重要なことだ」と大江氏とのインタ−ビュ−記事を伝えた。

 「戦後民主主義」とはどんな主義なのか。

 「戦後民主主義」あるいは「戦後民主主義者」というはっきりした概念があるのであろうか。

 国国によって、時代時代によって「民主主義」という概念にも相違がある。「大正デモクラシ−」という言葉もあった。次の時代はどんな言葉が人々の心をつかむことになるのであろうか。

 私にとっては「戦後民主主義」とは「戦後の時代に教育された<民主主義>の中に育った人の頭にある民主主義」ということではないかと考えるのだが。

 この流儀によって言えば私は「戦前・戦中・戦後」になると言わなければならい。

 

 何故「民主主義」という言葉にこだわりがあるかといえば、私が慶應義塾で教育をうけたものであり、私の医学研究のバックボ−ンに「衛生学」「疫学」がありまた自ら「疫学者」と称し、その疫学と同意語としての「epidemiology」の語源の中に「democracy」と同じ「demio」があるからである。

 1970年世界心臓学会での発表の最初に「高血圧についての疫学的研究は、人間の集団の血圧の観察からはじめなければならない。そのためには、まず地球上に住む人類が、はたしてどんな血圧をもっているかを知らなければならないだろう」と述べたのだが、これは地球上の全人類「人々」「人」を主題に捉えたからであった。

 「demio」が「王」「貴族」「民」の「民」(その他に奴隷がいたことも問題だが、それはひとまずおくとして)でもなく、また「目をつぶされた人を意味する民」でもなく、地球上の「人々」「人」を問題にしたからである。(6-11-11)   

(弘前医師会報,238, 42-43, 平成6.12.15.)

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