挨拶

 

 佐々木直亮です。(拍手)私は今大変興奮状態にあります。(笑い)その理由を説明してご挨拶に代えたいと思います。

 さっき飛行機で青森空港に着きましてここに来ました。だからまだ非常な興奮状態にあるわけであります。

 久しぶりにちょっとした国際学会と、それからWHOのプロジェクトのミ−テイングがありました。

 昨日などは、朝から晩まで、全く英語だけの生活に突入しまして、精神状態が少しおかしくなっております。けれども気持ちとしては10年くらい若返ったような気持ちです。

 そこで気が付いたのは世界各国からの人間、お医者さんといいますか、ほとんどがノ−スモ−キングでした。神戸でもWHO’91フォ−ラムで、これは約4000人の人が集まって、大いに気炎をあげました。

 話題は健康長寿の問題でした。私はそうゆうふうなことをやっております。青森県でも生き生き健康県民運動推進委員会の委員長をやっております。先だっても青森で吉幾三なんか呼んできまして、これは2000人を2日がかりで集めました。まあ健康つくり運動もようやく盛んになってきたということです。

 WHOの方はカルデアックスタデ−といって、私も国際顧問ということで若干関係しております。弘前大の医学部で開発した血圧計、これは5年前の退官のときの「研究うらばなし」に書いてあることなんですけど、そのアイデアが生かされて、世界中で血圧が測られたわけであります。色々な国際的なスタデイがありますが、若干自慢できることは、全く客観的にデ−タ−ができたと、まあそうゆうことなんです。

 もう一つの会は「遺伝と環境」という問題でした。ご承知のように私は食塩という問題に突入しました。ある先生に言わせますと、日本の食塩の先生となるんですが・・。私が教授になったときは、そういう環境問題に突入したんです。今度の問題は、もし私が今教授に推薦されたならば、多分ジェ−ンファクタ−に突入しただろうと。要するに食塩の問題でも、個人的に違うし、タバコもそうだろうし、そういう問題がトピックスになっていることは確かであります。日本でも進んでいるかもしれませんが、こういう方面はかなり進んでいるんじゃないかと、聞いてまいりました。

 1週間前のこのあたりは大変でした。実は弘前では大変でした。

 私が29年に弘前に来たときに洞爺丸の事件がありまして、それ以来の台風でした。丁度高橋英次先生が弘前に来られて、古い仲間が集まったんですけれど、ロ−ソクの中で会食をもちました。台風一過150億円と書かれたんですけれど、その後500億円、750億円となりまして、色々な方と話しているとき、多分リンゴは食べられなくなるだろう。高くなって。また収入も少なくなるだろうと。そして心配なのは高血圧だと。このような話ですが、その意味がお分かりいただけるかどうか。

 第一出版から「りんごと健康」という本を出版しました。これは私が松永先生とか、角田先生とか、荒川先生とかの論文を引用し、最近では吉田内科や第三内科の仕事、角田先生のあとの藤田先生の仕事もある、まあリンゴの医学的な本は弘前大学あってのものであろうと思っています。本当は皆さんに1冊づつお土産に差し上げてもいいんですが、1500円ちょっとですから(笑い)。一時青森県内でベストセラ−にもなったようですが、ぜひ読んで戴きたい。これは弘前大学の仕事が大部分であると、あえて宣伝は必要はないと思います。

 もう一つ「食塩と健康」という本の原稿を脱稿しましたので、これも今年から来年にかけて出るんじゃないかと。

 そしてここに着きましたら、とにかく一人一人の顔、30年前の思い出が錯綜しまして、その総てをしゃべるのには時間が足りないのです。 一つ代表として、旧姓小坂さん、現在佐々木道子さん、さっき松永先生の奥さんが私の家内だと思ったそうですけれど(笑い)、それは冗談といたしまして、彼女が弘前中央高校のステ−ジの上で、バレ−やっていたイメ−ジ、これは残念ながら「衛生学教室のアルバム」にはありません(笑い)。ただそういう時代があったと。それぞれに思い出があります。

 今、ネブタがありましたね。私の孫が弘前に来たときに、ドンコドンコとやるもんですから、私達はドンコじいさん、ドンコばあさん(笑い)。この頃はリンゴを送るものですから、リンゴじいさんリンゴばあさんになっています。

 そして卒業してもう5年、今は女子大学の若い女性に囲まれて、どういうことになりますか。

 今日はお招き頂いてありがとうございました。どうも失礼します。(拍手)

   (卒業30周年記念同期会,平成3.10.5., 法華クラブ)

   (七期会たより,第3号,17-18, 1992.1.)

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