「インフォ−ムド」という言葉

インフォ−ムド・コンセントが話題になる世の中である。この言葉の本当の意味は何であろうか。言葉にはそれぞれの言葉を生んだ人々の文化を抜きにしては本当のことはわからない。その文化を理解しあうことが世界平和につながるのではないかと前回翻訳の問題に書いたのだが。

今度のような医療にかかわる言葉になると、英語圏の医療の歴史を背負った言葉として理解しなければならないと思う。

コンセントは「相対する者が同じ心を持つ」と語源的に理解されるが、患者が医師を訪れて、その患者の問題、一般的には「疾病の治療」に同じ心を持つことが中心で、それに関する「知識」が与えられることが必要だという考え方ではないか。

実際上はどのように知識が与えられ、合意に達するかということになろうが、その前に患者がある医師を選択したことが出発点にあるので、基本的には患者と医師との信頼関係が前提にある言葉として理解される。

その点日本の場合には多くは医師にたいする不信感が先にたって言い出された言葉のように感じられるのであるがどうであろうか。

「疾病」が出発点でなく、その前に「疾病になる前の状態」があり、またその前の「普段の生活態度」が人々の健康と関わりがあると考える者は、どうしたらよいであろうか。

実はその点に関して「インフォ−ムド」という言葉を初めて読んだことを書き留めておきたい。

それは1962年の国際衛生教育会議へあてたケネデイ大統領のメッセ−ジに「改善された健康水準は個人の知識ある行動にのみ基づくのである。現在の健康知識が世界中に利用されるならば数知れぬ生命が救われ、知られざる災害が避けられるであろう」とあったが、その中に、「インフォ−ムド・アクション」という言葉があった。

また同じ意見でも、「ウエル・インフォ−ムド・オッピニオン」という言葉を読んだこともあった。 

(日本医事新報,3480,58,平成3.1.5.)

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