塩少々

 

 料理の時、いつも塩少々加えましてという。

 何故なのであろうか。

 こんな疑問をもちはじめてだいぶ時間がたってしまった。かれこれ三十年以上になる。

昭和39年10月2日日本家政学会東北・北海道支部第9回総会(会長葛西文造)が弘前市東北女子短期大学で開催されたとき「塩少々」という題で特別講演した。

 

 減塩という言葉もある。減塩より低塩のほうがよいという意見をのべたこともあった。適塩という人もでてきた。それぞれどんな意味があるのであろうか。

 

 基本的に考えると、いつ、何故、人はいわゆる食塩を食生活の中に取り入れるようになったのであろうか。

 そもそも食塩といわれるものは、この地球上にいつ出来上がっていったのであろうか。それをいつ何故人間は自分の食生活の中に取入れていったのであろうか。

 塩が手にはいるようになったとき、人はそれをなんという言葉でいったのであろうか。世界の人々が塩のことをなんといっているのであろうか。それにあたる言葉はいつごろからできたのであろうか。

 

 人間の健康についての学問ができあがったのは、それほど古いことではない。病気は昔からあったであろうけれど、医学思想の歴史からわかるように、病気についてそれを科学的に理由ずけをするようになったのはごく最近といわなければならない。

 食塩についていえば、ナトリウムにしても、それが確認され、分析されるようになったのは19世紀にはいってからだから、最近の話である。 塩の取引で栄えたお城ザルツブルグができた中世の、その前すでにシルクロ−ドならぬソルトロ−ドともいわれる道に塩がはこばれていたし、日本にも製塩が始まって塩の道が各地にできてきたときには、それは人々の生活に必要なものとなっていったと思われるが、生理的に不可欠なものであったのであろうか。

 この地球上に数千年来いわゆる文明人と接触がなかったといわれる人々が No-salt culture に生きてきたことが判明した現在、いままで作り上げられてきた医学理論は何なのであったろうか。

 ヨ−ロッパにじゃがいもがもたらされ、それに塩をふりかけて食べる食生活が出来上がったころ、医学はその理由の解明について立ち向かったので、その方面の権威者であったブンゲの説はそのまま信じられ、日本にも輸入されたとしか思われない。その説がおかしいのではないかと指摘してすでに二十年以上たったが、いまもってブンゲの説の流れは残っていると思われる。

 本当はどうなのであろうか。

 いまになっても最近訃報に接したメネリーがいった言葉、人間以外の動物は、"the salt in the diet"のみにたよって生活してきたのに、なぜ人間のみが、"the salt added to the diet"にたよらなければならないのか?と書いていたいたことが思い出されるのである。  (1・7・18)

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