学会のことつづき

 

 この国際学会もアメリカの心臓学会の疫学の会の年次集会もかねていたので、ある面ではアメリカの学会の性格もあった。英語がことのほか幅をきかせていたし、彼らにとっては国内のせいもあってか、ご夫人同伴は比較的少なかったようだ。

 ポ−ル(Oglesby Paul)もきていた。昔マイアミで学会で血圧の疫学の小さい会に出席したときのスナップが私のスライドにある。

 あなたの写真をスナップしたことがありましたよ、といったら、そう、あのときは学会の会長をやっていたときだったかな、お互いに引退後の生活を楽しみましょうといっていた。

 マイアミからきていたドクタ−がいたので、24年前、ミネソタからシカゴへ出て、それからマイアミの学会場まで一日以上かかって例のグレイハンドバスに乗っていったことがありましたよ。宿料を節約するのにマイアミの YMCAに泊まったのだが、学会場のホテルはマイアミビ−チで、毎日一時間バスにのって通ったものでした、としゃべったりしておお笑いした。

 ボルチモアのジョンスホプキンスにいたケラ−(Lewis H. Kuller)にも 24年ぶりに会った。彼は今はピッツバ−クの教授で、今回もレクチャ−をやっていた。頭の禿げている方は 20年以上たってもちっとも変わりなく若くみえた。以前スナップしたスライドで私にとって記憶が反復していたのか、一度会っただけではあるが、すぐ彼だとわかった。彼もまた私のことをよく覚えていてくれていた。彼の講義の中で私の仕事のことを聞きましたとは時々日本から留学した人から聞かされていたので、彼も私も意識していたのだろう。

 

 サテライトの会にダイエタリイ−ファイバ−の会があったので、バ−キット(Denis P. Burkitt)とはどんな方かしらと聴きにいったのだが、アイルランドなまりというのであろうか、それはそれはすごい発音で驚いた。ランチをご馳走になり、ファイバ−マンという本をおみやげにもらったが、スポンサ−のついた会はすこし割り引いてみなけければならないものなのか。日本にもおしよせて来ているテ−マであるが、疫学からみてまだよくのみこめなかった。 

 

 学術面ではヒュウストンのラバ−ス(Darwin R.Labathe)らがプログラムを作っていた。わりとたくさん採用したようですね、がもっぱらの評判であった。演題番号の最後は 632であった。

 ラバ−スは日本に来たこともあるし、WHOの会でも会ったことがある。日本の学者と協同研究もやっているし、われわれの仕事も血圧計のことを含めて知っているし、私の発表を採用してくれた。

 今回の私の発表はポスタ−展示であった。口頭での発表よりよい点があるように私には思われた。へたな英語でも、相手の質問もなっとくできるし、一対一で話せる。

 内容はりんごの食習慣が高血圧にたいしてのベネフィット・アクタ−になるのではないか、というものであった。

 演題は”Protective effect of apple eating habits on high blood pressure in high salt population"で、一般受けしたのか、雑誌記者何人かにも質問された。

 英語にある「一日一つのりんごが医者を遠うざける」という諺の証拠を示したと30年前世界中に報道されたのだけれど、今度は長期の追跡的な成績をコンピュ−タ−で検討した結果、またそれなりの成績が得られたといったのだが、どれだけわかってもらえたものか。

 アメリカのドクタ−たちはあっさりしたもので、色々質問し、とどのつまりが、「たいへん興味深かった、では昼めしのときにりんごをたべるかな」いってたちさっていった。

 

 中国からも若い研究者がきていた。主として留学生であり、研究のテ−マはリッピッドに関することをやっていたが、私の成績にも興味を示してくれた。いま中国の疫学調査が始まったばかりで、食塩が多く、カリウムが少ないことが、わかってきたせいかもしれない。

 ワシントンヒルトンのプ−ルサイドで開かれた、学会のレセプッションで立ち話をしている時、中国からきていた留学生の一人の女性が日本に高血圧の疫学でとても有名な先生がいますが、その人の名前がいまいえないといったので、もしかしてその人の名前は SASAKI ではないですかと冗談でいったら、いやそうではない。ではK先生ですか、Y先生ですかといったら、ああそうです。そのひとなら、私が研究をはじめたときは学生でした。いまこの会に来ているから紹介してあげましょう。でもいまの話は内緒ですよ、と云ったら、いたずらっぽく笑っていた。若いと思ってみていたのだが、夫とこどもを本国にのこしての留学ということがわかった。ちょうど20年前の自分のように。

 

 学会の終わりにちかく塩類と血圧の分科会場にでたら、さすが国際学会でも数人しか出席していなかった。しかし座長のラングフォ−ド(Herbert G. Langford)らその道の大家は顔をみせていたが。

 その発表の中に例のヤノマモ・インディアンの調査報告があった。以前のオリバ−らの報告と同じであったが、年齢別にみても血圧は高くならず、尿量は 1リットル以上でているのに Na は 0.2 mmol/24hr、で正に no-salt culture にすむ人々についての報告であった。今度は地元のブラジルの研究者からの報告で、あらためてその事実を聞いて日本の実状と比べてみて感慨をあらたにした。

 

 いま日本に帰ってみて学会のプログラムを見直してみると、ずらっと疫学・予防医学の面から興味のある演題がならんでいる。

 毎日朝はやくから晩遅くまで精勤したのだが、会場がいくつもあり、その中の少ししか聞けなかった。でも予防が正面にでた学会でこれだけの演題があつまり、人があつまってくるとは、さすが先進国と思われた。

 たばこをのむ医師はもはや医師ではないとでもいうようなたばこの問題もふくめて、食生活、とくに欧米で問題になると思われる肥満、そして社会的な面、子供たちへの教育も含めて、学問の最先端の話題だけでなく、ひろく予防の実際面を論じていた。

 疫学の会のスタッフの一人である橋本勉教授は毎朝学会の始まる前の7時半からのミイ−テングに眠い目をこすりながら参加していたが、彼らの真面目さがとてもよいのです、だから私もやる気になるのですといっていた。

 4年後にはオスロ−で開かれることがきまった。オリンピックなみにスライド入りでそれまでに新しい会議場ができますので、では4年後にまたお会いしましょうとPRされた。(1・7・16)                                             目次へもどる