ゆかりさんのこと

 

 「拝啓 初夏の候、皆様方には益々御健勝の事とお慶び申し上げます。

                                        私こと

  このたび弘前大学医学部を卒業し5月より東北大学医学部眼科にて

  初期研修をさせていただくことになりました。

  在学中は公私ともに御厚情をいただき厚く御礼申し上げます。

  今後とも一層の御指導御鞭撻を賜りますように御願い致します。

  まずは略儀ながら書中をもって御礼かたがや御挨拶申し上げます。

                                         敬具

  〒987  仙台市角五郎1-11-11  スカイハイツ10号  Tel (0222)24-2375

                            佐藤ゆかり」

 86年5月21日付けのこんな文面の横書きタイプの挨拶状をもらったのが最後になってしまった。

 しかし今も元気で研修しているとしか思えない。

東医体女子スキ−距離競技に優勝して(昭和52.五日市)

 頑張りやのゆかりちゃんがスキ−ですばらしい成績をあげたのだが、1年留年することになったことは誤算であったに違いない。

 専門の進学式の日、2回目なのによく式に出てきたと思う。講堂のうしろのほうに君の顔ををみたとき、嬉しく、安心もした。

 そしてその日、皆に頑張って一緒に卒業しようといった挨拶を君も覚えていてくれた。

 私が停年で退官する年が今度進学してきた諸君が卒業する年と同じになるはずだと計算しての話だったのだが、君も同じ年に卒業でき、同じ日にキャッスルの追い出しコンパに出ることができ、そのときその話をしてくれた。

 いつだったかコンパのとき、いつも東医体へ行っていたのが、いけなくなった話をうけて、「なおすけ先生のいない東医体なんて」といってくれたことを覚えている。

 また卒業記念にちょうど出来たばかりであった私の「衛生の旅 Part2」をあげたら、「ひょっとしたら、著者謹呈とでもいうのかしら」とつぶやいた。

 君の功績をたたえるために北医体にカップをという話がでたとき、「女子デイスタンスのパイオニヤ−佐藤ゆかりさんを記念して」と書かせてもらった。(昭62.3.)

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