来賓祝辞

 

 佐々木直亮でございます。本来ならば、医学部長、或いは病院長の役職のある者が祝辞を述べるべきところだと思うんございますが、公務の会議でご出張中で、弘前におりません。大変役不足で申し訳ございませんが、ご指名でございますので、一言お祝いの言葉を述べさせて戴きます。お祝いの言葉ということで考えてみますと、いろいろ沢山言葉があると思うんございますが、今日はこのテ−マを選んでみました。

 一つは科学者の目ということでございます。この同じ題名で、弘前市医師会報に小文を書きましたので、或いはご承知の方もあるかなという気が致しますけれども、次ぎのような書き出しで、ちょっと書いたわけでございます。槙哲夫先生が弘前大学医学部におられた頃だからもう20年以上も経ったことなどだけれども、いつか先生のお供をして十和田湖に行った時のことが、今も忘れられない、とまあこんなことで書きました。

 その内容は実はご承知のように湖畔に建っております高村光太郎の「乙女の像」がございます。何気なくあそこへ行くわけなんですけど、槙先生があの時にまあつぶやくように申しましょうか、私に話かけるようにと申しましょうか、ご承知のように、あれは二人の乙女が手を合わせて立っているわけでございます。槙先生の言葉はこうゆうことでございました。「あのような形で2人の女性が立っていると、手を合わせていると、後ろの足の踵がどうしても上がるんだがな」という呟きにも聞こえた言葉であります。確かにそう言われて、後で手を合わせてやって戴くとわかるんですが、どうしても後ろの足の踵が上がるんです。で、そのテ−マを戴きまして、「科学者の目」ということで書きました。芸術家というのは大変自由に作品が作られることのうらやましさを一面に感じながら、われわれ職業人として、科学者の目の大変大切なところを教えられたということで書かせて戴きました。

 ちょっとついででございますが、先日盛岡の県立博物館へ参りましたら、あそこの前に、マイオ−ルのやはり像が建っておりまして、それは後ろの踵が上がっておるんです。作者はまさに芸術品で自由でございますけれど、我々科学者というものは、そういう目をいつも養っていなければならないということで、大変教えられた記憶がございます。

第2のテ−マは、こまかい心遣いということでございます。

これも実は槙先生に関することなんですが、私が教授になりたての頃だったと思います。槙先生が衛生学教室へこられまして、実は国際的な栄養摂取量の資料がないかとのお尋ねでありました。これは皆さんご承知のように、胆石の組成に関する槙先生のアイデイヤということに結びつくものだと思うんですが、若干の資料を集めてお見せしたのであります。私はそれは忘れておったんですが、ある日日本医事新報でしたか、このお仕事は東北大学に行かれて立派にやられた、というのは皆さんご承知なんですけれど、いろいろ書かれた中の一番最後のところに、私の名前も上げて謝辞を述べられている、大変な驚きと同時に恐縮致しました。で私自身は先生からそうゆう質問を受けたということで、大変大きなものを得たということで感謝申し上げるべきだと思うんですが、そのような名前、謝辞に書いて戴いたというのは、大変光栄に、ありがたく思ったわけでございます。このような精神と申しましょうか、心遣いと申しましょうか、これはその大内清太先生、小野慶一先生、あるいは教室員の方々に、何かにつけて私は感ずるのでございます。

 幸いなことと申しましょうか、ここにちょっと絆創膏をあてておりますが、これは形成外科の菅原光雄教授にちょっとminor surgeryをやって戴いて、あちらでも会員のパ−テイをやってるのですけれども、これは余談でございますが、皆様方のお世話を受けるということは、今のところなく済んでおりますけれども。

 恐らく臨床の場に於いて患者さんに対して非常に細かい心遣いがあるのではないかと、これまでの伝統ある第2外科教室の姿ではないかということを感じまして、今日は科学者の目ということと、細かい心遣いという二つのテ−マを選びまして、お祝いの言葉に代えさせて戴きたいと思います。どうも本日はおめでとうございます。(拍手)

(三葉会会報,27,23−24,昭59.4.15.)

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