”コホ−ト分析”によせて

 

 ”コホ−ト分析”ということばが、医師国家試験の中に登場するようになった。

 昭和48年の4月には、原語でcohortと、52年の4月には、コホ−ト分析とでていたが、われわれが、このことに関心をもつようになってからかれこれ20年にもなる。

 昭和32年4月6日の教室の抄読会で、当時助手から講師になった武田壌寿先生(現養教所長)が、コホ−ト分析についての論文を抄読した。教室でとっていたBrit.J.prev.soc.Med.(10,159-171-1956)に掲載されていたR.A.M.Caseのイギリスの死亡率の検討についてのもので、肺癌に関するコホ−ト分析の成績が極めてあざやか、且つ重要な所見を示していたので、今も講義に引用しているほどのものだった。武田君は早速この分析方法をわが国の脳卒中死亡率の年次推移の検討に応用して論文を書いた。(厚生の指標,5(5),52-56,1958)わが国の脳卒中の死亡率が戦時中低下したことは知られていたが、コホ−ト分析の結果は、どの年齢層の人も一様に低下したのではなく、当時40歳・50歳代の働きざかりだった人々に最も強く影響があらわれていたことが示されたのである。その当時まで脳卒中が予防できるかどうか疑問視されていたのだが、私は、わが国の脳卒中は予防の可能性があると、この分析の結果について推理したのである。そしてわが国でのはじめての”高血圧の疫学”についてのシンポジウム(日衛誌,13,11-13,1958)、またこれまたはじめての”脳卒中の予防・治療・リハビリテ−ション”のシンポジウム(日本医師会誌,48(2),75-79.1962)にコホ−ト分析の結果を述べたのである。

 東北大の公衆衛生の教授をしていた瀬木三雄先生が、学会の席上、”なかなか面白いことをやったね”と、前の厚生の指標にのった論文の批評として、武田君に耳打ちをしていたのを今もおぼえている。

 そのほか、武田君は、わが国のう歯の疫学にもこれを応用して重要な所見の報告をした(医学と生物学,47,112-116,1958)。う歯が戦時中少なくなった年次推移を、コホ−ト分析したものだが、う歯の発生は、乳歯であれ永久歯であれ、萌出直後の環境条件に左右されるとの推理が得られた。

 そのほか教室では、発育論の立場から初潮発来とか、又閉経期についても、コホ−ト分析を応用した研究を報告してきたし、血圧や脳卒中についての研究は20年以上もまだつづいているのである。

 ”保健の科学”誌が創刊され、その2号に、いくつかの研究を紹介し、わかりやすく解説したのが昭和35年であった。昭和49年に山形県で第1回の公衆衛生学会が開かれたとき、特別講演で、”研究する心”、コホ−ト分析的思考法の実例から”を述べた。

 さて、”cohort”とは、元をただせば、古代ロ−マの軍団であって、300人から600人の歩兵隊の単位集団をいうとあるが、統計的な分析方法からいえば、”age-countour””date-countour”ならぬ”cohort”を追跡してみる見方であり、それなるが故に、”prospective epidemiology”であるとする本もある。

 現在コホ−トと書く人と、コ−ホ−トと書く人がいるが、私は日本語として”コホ−ト”と紹介した。本来の発音は”コ−ウホ−ト”で、とても日本語では書けなかったからである。 試験に”コホ−ト分析”とはという題を出したところ、”糞便の分析検査すること”と書いた”笑点”のタレントにでもなった方がよい学生がいたこともあった。

 学友会誌に文を書くようにいわれた時の題は「わが学生時代}についてであった。

 しかしここで「コホ−ト分析によせて」を書いたのは、私は大正10年生まれの戦前、戦中派で、君達昭和30年代生まれの者とは、全く違った世界に生まれ、育ってきたことをいいたいと思ったのである。

 わが同級生の2割は、戦争で、又結核で死んでいる。

 先日、衛生学の試験のとき、20年後の健康問題について論ぜよという題で書いてもらったのだが、将来を的確に推理した答案は少なかった。

 しかし実際は、20年後,30年後の日本人、あるいは世界の人々の健康問題に直面し、医師として仕事をするのは君達をおいて他にはない。

 基礎のS・G・Tで 2週間勉強にきた中村馨君に”日本人は過去何人生まれ、それからどのように死んでいったか”をユニ−クな方法でコホ−ト分析してもらった。その結果、死亡についてではあったが、過去のこと、今のことを教えてくれた。そして将来を考えるヒントが与えられた。

 今日本では健康問題は変貌期を迎えた、と思のだが、コホ−ト分析的思考法をもって、死亡であれ、疾病であれ、健康状態そのものであれ、考えてゆくことに重要性がひしひしと感じられるのである。

(学友会誌,18−20,昭53)

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