日本と西欧の脳卒中

 

 ”日本と西欧の脳卒中”という題で、今日の論壇に執筆を依頼されたとき、まず頭にうかんだことは、昨53年9月に東京で開催された第8回世界心臓学会のことであった。

 世界中から集まった演題の内容をみると、西欧からのものは心臓病に、わが国を主とする東洋からのものは脳血管疾患に焦点をあてたものが多かった。そして両者に共通しているものは、動脈硬化であり、高血圧であった。

 ちょうど10年前、国際疾患分類(ICD)の修正があって、脳卒中は解剖学的系統別としての中枢神経系の血管損傷から、循環器系の疾患として、心臓病とならんで分類されるようになった。したがってこの10年間、人間の健康問題としての脳卒中として単独にとらえられることから、心臓病と共に、広く循環器系全体の問題としてとらえられるようになったと思う。また同時に脳卒中の内容の分類にも修正が行われてきた。そして今年から10年間、脳卒中は循環器系の疾患の内にふくまれてはいるが、新しい分類に従うことになった。

 このような経過の中で一番問題になるのは、動脈硬化・高血圧との関連であろう。現在までの死因統計では、一人の人は一つの分類上の疾病名で死亡したように数えられ、それも”原死因”によっているのだが、このことは、臨床的に人をみている方達にとっては、理解しにくいことではないだろうか。近い将来、人間の疾病像を包括的にみてゆく統計的方法が期待される。

 昨年WHOは”世界高血圧予防年”を展開した。アメリカでは、医学誌のCirculation、Strokeのほかに”Hypertension”の発刊を予定し、ヨ−ロッパでも、日本などの東洋・アフリカを含む国際的な”Hypertensive cardiovascular disease an international jounal”の発刊が予定されている。 わが国でも循環器学会のほか、脳卒中学会も4回になり、昨年は第1回の高血圧学会が開催された。

 このような学問の進歩にうらずけられた国際疾病分類の変化、学会、学術雑誌の推移でもわかるように、日本も西欧も、循環器系疾患の問題が急速に変化してとらえられているようにうけとめられる。

 さて脳卒中の研究をふりかえってみると、この方面ではたした日本の役割は極めて大きかったといえる。1941年(昭和16年)にはじまった”の脳溢血”の研究(西野忠次郎ら)は、諸外国にはあまり知られていないが、その後の日本の脳卒中の研究の原点ともいえるものであった。そして”日本人の脳卒中の特殊性”(冲中重雄ら)、”久山町研究”(勝木司馬之助ら)、その後日本各地で行われた数々の追跡的疫学研究の成果は、WHOの国際的な比較研究(籏野脩一ら)の成果と共に、日本の、とくに秋田の脳卒中が、若い時から早く脳出血がおこるという特徴を国際的に知らせることになった。また動脈硬化についての7か国研究(Keysら)に日本の木村登が入っていたことも、西欧との比較において重要なことであった。

 これらに共通してある”高血圧”はどうであろうか。1905年Korotkov以来、聴診法による血圧測定法が全世界に広まったが、それをいちはやくとり入れた生命保険医学の成果は重要なものであったと思う。そして臨床医学の中で展開とは別に、人々の血圧に接近していった疫学的研究によって、各地域の人々の血圧が明らかとなり、さらには”global”な立場から人々の血圧を見直すことが行われてきた。

 Dahlは”高血圧出現率”と人間の食塩摂取との関連を示したが、私は日常摂取される食塩が人々の小さい時からの”血圧水準と分布”に関連があるのではないかと考え、証拠を集め、そして”食塩文化論”の検討の必要性を指摘した。

 高血圧の分類には、WHOの分類が広く用いられている。しかし、この分類は、人口集団に対して統計的応用のために考えられたもので、個人にあてはめるべきものではない。Framingham stydyでの資料の分析によっても、正常血圧といった限界線があるわけではなく、”the lower the better”が、治療上妥当な目標であるかもしれないことが示された。われわれの20年にわたる血圧水準と生命予後についての追跡調査でも、最高血圧120mmHg、最低血圧70mmHg付近が死亡率が最も低く、それより高くなればなるほど、全死亡・脳卒中(脳出血)の死亡率が高まることが示された。このことは極めて重要な所見と思われる。したがって”血圧サ−ベイランス”の必要性が考えられ、また血圧がそれほど重要なら、その”客観的証拠”もより以上必要となってくることになる。そして日本と西欧の高血圧状態と、その後の予後の相違の検討が必要になってくるのである。

総合臨牀,28,853,昭54.5.)

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