「コホ−ト分析」によせて

 

 ”コホ−ト分析”という言葉が、医師国家試験の問題の中に登場するようになった。

 昭和48年の4月に初めて原語の”cohort”分析がでた。52年4月には”コ−ホ−ト”分析と出ていたが、53年4月と10月には”cohort study”として出ていた。

 最近、京大藤原元典教授らの編集になる「総合衛生公衆衛生学」が南江堂から出版されたが、その中で私も成人保健の章を担当した。原稿には”コホ−ト”と書いたおいたのだが、出来上がった時には、”コ−ホ−ト”になっていた。同じ本の中でコホ−トとコ−ホ−トと両方用いられており、読者は迷われるだろう。

 ”cohort”の英語の発音はむずかしい。”コ−ホ−ト”と書く方がそれに近いかもしれない。われわれが、かれこれ20年前にこの言葉を引用して論文を書いた時には、日本語として”コホ−ト”と紹介したつもりだった。わが国で、コホ−トと書くか、コ−ホ−トなのかは、まだきまってはいない。

 昭和32年4月6日、教室の抄読会で、”コホ−ト分析”について論文が紹介された。それはBrit.J.prev.soc.Med.(10,159-171.1956)に掲載されていたR.A.M.Caseのイギリスの肺癌の死亡率に関するコホ−ト分析の論文で、その成績が極めてあざやか、且つ重要な所見を示していたことが印象的であった。

 教室の武田壌寿君(現弘前大学養教養成所長)は、早速この分析方法をわが国の脳卒中死亡率の年次推移の検討に応用して、論文を書いたのである。(厚生の指標,5(5),52-56,1958)。

 

cohort分析とは

 

 さて”cohort”とは、元をただせば、古代ロ−マの軍団であって300人から600人の歩兵隊の単位集団をいうとある。統計的な分析方法としての原理をCaseは図のように示した。

年齢と観察年ごとの数値をもとに、contour(等高線)でむすんで、”age-contour””date-contour”として傾向線を示し、年次推移などを考察することがごく一般的に行われている。”cohort”として追跡してみてゆくのは、いわば”同期の桜””クラス会”として考えてゆくのであって、最近の疫学の本では”prospective epidemiology”であるとするものもある。

 現在までに、色々な”cohort analysis””cohort study”があるが、一番大切な見方は、同一出生年次群(birth cohort)を追跡してゆくことではないかと考えている。

 

コホ−ト分析の成果

 

 ジョンスホプキンス大学の公衆衛生学部の初代の疫学の教授になったW.H.Frostは、1936年マサチュ−セッツ州の結核死亡率を10歳階級ごとの同一出生年次群の”cohort”として追跡考察したのである。

 わが国の結核死亡率についての明治・大正・昭和生まれと、出生年次群によって、それぞれの加齢にともなう死亡率曲線が、全く相違していることは、今では良く知られるようになった。

 イギリスの肺癌による死亡率のコホ−ト分析の結果示された新しい出生年群ほど、加齢による死亡率曲線の上昇の傾向が著しいことは、わが国民にもみられる傾向であって、極めて重要な所見といわなければならない。

 脳卒中死亡率についてはどうであろうか。

「脳卒中死亡率が高くなった」「脳血管疾患による死亡は死因順位の第一位をしめる」だから脳卒中は問題だと、論文のはじめに書かれる研究者は極めて多い。一体そのことでどんな問題が示されたというのであろうか。

 又「訂正死亡率で検討したところ・・・」と書いてあるものもある。それはそれとして疫学研究上の手がかりは与えられるものの、7,80年前に生まれた人も、最近生まれた人も計算上同等に取り扱われていることに問題はないだろうか。

 「心臓病は最近4倍になった」とよくいわれている。わが国の「心臓学者」は国民衛生の動向に述べられているこの表現を、よく引用している。しかし、その内容を本当に十分分析してみてのことなのか疑問に思われる。

 さて、わが国の脳卒中死亡率が戦時中低下したことが、粗の死亡率の推移で認められた。これは、疫学研究の手がかりであり、訂正死亡率の推移でみても、低下し、戦後再び上昇したことが示された。

 この時代的推移をコホ−ト分析した結果、どの年齢層の人々も一様に低下したのではないことが分かった。当時40歳,50歳台に働き盛りの人に最も強く影響があることが認められたのである。脳卒中では、その人たちが年をとればとるほど、死亡率が高くなるのが普通だが、当時中年の人たちの死亡の上昇に停滞があったことが認められたのである。

 その当時まで、「脳卒中が予防できる」という話は聞いた事はなかった。私は、このコホ−ト分析の所見から、わが国での脳卒中は予防可能である証拠が示されたと考えた。同時に、わが国内での地域差をみても、予防可能と考えたのである。そして、わが国でのはじめての「高血圧の疫学」についてのシンポジウム(日衛誌,13,11-13,1958)、「脳卒中の予防・治療・リハビリテ−ション」のシンポジウム(日本医師会誌,48(2),75-79,1962)で、そのことを指摘したのである。

 それから20年、わが国で行われてきた疫学的研究の、とくに追跡的疫学研究による成果は、わが国で問題のある働き盛りの年齢の脳卒中の病型は脳出血であり、これが小さい時から長年つづいた高血圧状態と極めて深くかかわりあっている生活の状況にも多くの手がかりが与えられ、そのつど一般の人たちに対する保健指導に生かされてきた。また、高血圧の治療も急速に進歩した。

 そのような学問の進歩と適用が間違っていなかったのであろう。わが国での循環器系疾患による死亡の様相は急速に変貌しており、そして今、大正から昭和のはじめ生まれの中年の人たちの高血圧に関連のある疾病による死亡率は急速によい方向に向かっていることが、コホ−ト分析の結果、示されることになったのである。 

 高齢化社会を迎えるわが国で老人問題は重要である。平均寿命は世界一になったという。そして、老化・加齢についての研究論文が多く出されている。しかし、その考察の根拠になっている数値が、今生まれた人も、百年生まれた人も同様に取り扱って計算された数値によっていることは問題はないだろうか。

 表現は加齢でも、根拠になる数値は年度別、年齢別の観察値をつなげただけで、コホ−ト的な見方がされていないことは問題であると思う。

 疫学者は人口集団を入口に健康問題に接近してゆく(日本医事新報ジュニア−,148,15-16,昭和50.12.15.)臨床家は個々人に接近してゆく。共に人および人々が、どんな時代に生きてきたかのその人および人々の過去をしらなくてはならない。

 今日本では、健康問題の変貌期を迎えた、と思うのだが、コホ−ト分析的思考法をもって、死亡であれ、疾病であれ、考えてゆくことの重要性が、ひしひしと感じられるのである。

(日本医事新報ジュニア−,184,27,昭54.7.)

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