大学と医師会

 

 大学と医師会・医師会と大学と、どちらを先にしたらよいかな、外国語で書けばどうなるかを考えてみたり、順序にこだわるわけではないけれど、大学に身をおく身ということで、標題のように書いたのであるが、医師会の一員として、いつも心にかかることであり、これが将来どうあったらよいかが、本日のテ−マである。

 例えば、県医師会報に文を書き”弘前市”と原稿に書いて出しても、”弘前大学医学部”と編集の方で筆が入ることもあるし、忘年会に医師会の一員として出席し、”北の宿から”をうたおうと思ってマイクの前に立つと、”弘前大学教授”と紹介されることになってしまうのであって、なんとも身のおきどころのない感がすることと関連があることなのである。

 慶應義塾大学医学部にいた頃、大学の中に医師会ができて、それ以来のおつきあいになったのだが、わが弘前大学医学部にいる医師達で、弘前市医師会員になっている方が少ないのはどうしたことであろうか。

 医師として実地の医療を行っていない身で大きなことをいえるとは思われず、医師といっても、大学にいて次の時代を背負ってゆくべき医師の教育に、又医学の研究に身をおいて食べさせて戴いているのであって、それにB会員でA会員なみに一票をもっていることの心ぐるしさがいつもあるのだが、これも医師の一つの仕事と考えているのであって、医師達の自由意志による加入によってでき上がっている組織は、医師会の姿であるとすれば、大学にいる医師も、医師会の中での活動があってもよいはずだと思うのだが。

 さて具体的なことについて考えてみると、大学と医師会との関連は、”卒後教育”あるいは”生涯教育”にあることは間違いないであろう。

 もう何年も前に大学の中できまって行われていることなのだが、”特別講演・セミナ−・抄読会”などのプログラムが、主催講座名・月日時・場所と共に公示されていることをご存知の医師会員が何人おられるであろうか。又それに出席された方が何人おられるであろうか。医学部でこのような公示をはじめた精神は公開であって、講座の壁をやぶる一つのこころみでもあったと思うのだが。

 かってミネソタ大学の客員教授として渡米した時の経験もあり、大学の”Official daily bulletin”をみたり、又近くのメイヨ−の”The Clinic Bulletin”の内容に注目したこともあって、これをすこしでもまねでもできたらとの提案が通って、教授会できまったことなのである。

 12年前のあの頃、毎日毎日予定表を眺めながら、示されたRoomをさがし、その時間にいけば、話がきけたことを思い出すのである。

 私にはこの弘前市は大変めぐまれていると思うのだが、正に”宝のもちぐされ”ともいうべき状態であろう。医学部の構内の駐車場の整備がアメリカと比較して十数年おくれているように、卒後教育の整備も十数年おくれているといわなければならない。

(ひろさき医師会報,109,3,昭52.12.)

もとへもどる