スキ−部報(SPUR)へ

 

 ”SPUR””シュプ−ル”とは良い題をつけたものだと思う。昭和34年3月、橋本功・花田雅寧・松谷善吉の諸君が編集者になって第1号を出してから早や10数年、ここに第10号を出すことになったのは喜びである。

 この間、文字通り、スキ−部のシュプ−ルがついた。これは照井精任先生はじめ、多くの先輩方の努力のたまものである。

 今、衛生の図書室に、大きな優勝カップがおかれていることをみなさんに知らしておかなくてはならない。これは多分、第1回東北地方大学高専大会でのリレ−の優勝カップであると思う。思うと一寸無責任のように書くのも、シュプ−ル第1号に西村先輩の記事をみての私の推理であるからである。大会長は丸井学長であった。学部長室に保管(?)されたと書いてある。本部ができたとき、旧朝陽小学校の校長室の学部長室は、衛生の高橋英次教授の部屋になった。私が29年に来たときにはすでに、カップはあったのである。そして今、基礎医学の6階の衛生の図書室にあるというのである。この時代には丹内正一先生の部長の下に、青森医専スキ−部全盛時代であったという。総合優勝を示す優勝旗はどこにいったか手元にはない。

 次の全盛時代は、昭和37年1月第3回東日本医学生スキ−大会(大鰐)で優勝した時の頃であろう。沢山のカップを前に撮った記念写真など、数々の思い出の多い写真をおさめたアルバムは衛生の図書室にある。

 そして今年46年3月、八方尾根でリレ−第2位になった時の小さなトロフィイがかざれることになった。

 医学部が続くかぎり、わがシュプ−ルもつづくことを祈っている。

(SPUR10号,昭46.)

 (SPUR掲載”弘前だより”はそのうち掲載予定)

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