熱意

 

 もう日数もたったことなので、名前をあげても失礼にはならないと思うし、又ゆるして戴けると思う。

 昨年5月、弘前大学医学部創立20周年記念式典が、新装なった市民会館を会場に行われたときのことである。

 初代の学長として本学の発展に情熱を傾けられた故丸井学長、視学委員として努力された草間良男慶大教授、創設の頃苦労された故山崎知事、故岩淵市長等に感謝状が贈呈されたあと、関係大学を代表されて祝辞に立たれた岩手医大篠田学長の話にうつった。

 話しはじめると、先生は当然弘前大学というべきところを、岩手医大といわれたのであった。

 他の大学のお祝いに来られて、自分の学校の名前を間違って出されるとは、先生ともあろう方が、場所が場所だけにあがられたのではいかと、はじめは思ったのである。

 つづいても一度、当然弘前大学というべきところを岩手医大といわれたのであった。

 それがも一度,三回目におよんだとき、私の心は別の方へ向かっていったのを思い出すのである。

 先生の頭の中は、いつも岩手医大の建設のことで一杯なのではないか。それを日夜心身をくだいておられる身にとっては、すべての行動はそこから出発しているのではないかと。

 一面からいえば失礼にあたることかもしれない。がしかし、一意専心岩手医大の建設に心をくだいておられる先生の口について出てきた言葉を思い出すにつけ、先生および先生を学長にもつ岩手医大を大変うらやましく思うのである。

(日本医事新報,2153,26,昭40.7.31.)

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