「塩少々」より「少塩」

 

 料理の時いつでも「塩少々加えまして」と云う。何故なのであろうか。こんな疑問を持ち初めてからだいぶ時間が経った。

 東北地方では若い時から「脳卒中」がおこり、働き盛りの人々が沢山死亡していたのに、それは「運命」であり、原因は分からず、まして「予防」の方法もない時代であった。

 東北地方の人々の血圧を測定し、小さい時から高血圧になる人が多いことを見つけ、「疫学的研究」で高血圧の成因を求めていった。「多要因疾病発生論」によって原因は沢山あるにしてもどうも「生活」に問題があり、とくに「食生活」の中の「食塩」が過剰に摂取していることに問題があるのではないかというところにたどりついた。

 

 アメリカでの在外研究の機会に今度は世界的に人々の高血圧についての資料を調べることができた。ちょうど「宇宙船」が空を飛んだ時代であった。沢山の資料をまとめて私は「地球疫学からみた人間の血圧と食塩摂取に関する仮説」を一九六六年ミネソタ大学で開かれたセミナ−で述べた。

 日常摂取している食塩がそこの人々の血圧の水準や分布に関連しているのではないか。すなわちブラジルの現地人のように食塩を殆ど摂っていない人々は年をとっても高血圧がなく、日本人とくに東北地方の人々のように一日二十グラムも三十グラムも食塩を摂っている人々は小さい時から血圧が高く大人になると高血圧の人が多くなる。そして循環器の病気で死ぬ人が多いのではないかという「仮説」であった。

 

 基本的に考えると、いつ、何故、人は「食塩」を食生活の中に摂り入れるようになったかである。そもそも食塩と云われるものは、この地球上にいつ出来上がったのであろうか。それをいつ何故人間は自分の食生活の中に取入れていったのであろうか。

 「人間は一日十二グラムから十五グラムの塩が生理的にどうしても必要である。尿や汗にまじって毎日排泄されるので、成人で一日約十グラムから十五グラムを摂取しなければ生命を維持することができないのである」と百科辞典にあった。

 「塩というものが、人間の生存にとって不可欠な物質である。塩をとらなければ死んでしまうのである」と社会学者は書いていた。

 こんな時「食塩摂取は脳卒中や高血圧の疾病発生に意義があるのではないか」と述べたので大変風当りは強かった。

 

 それから十年以上たった一九七五年ブラジルとベネズエラの森林地帯に住んでいまだに石器時代そのものの生活をしているヤノマモと云われている人々に調査が進み、彼らは「塩のない生活」(no salt culture)であり、高血圧がなく元気でいることが分かった。塩のない生活をして子供を産み、授乳をしていても、「塩類」については平衡がとれていることが実証された。彼らは「食物に自然に含まれている塩類」だけで生活をし、「人間の知恵で食物に付け加えられた塩」には何千年もたよっていなかったのである。

 

 現在国際的に認められていることは「日常食塩を五グラム程度以下」にする工夫が推奨されている。詳しくは「食塩と健康」にまとめた。

 

 日本の医学書で最古のものと云われる「医心方」に次のような「養生」の言葉がある。

 

 少思 少念 少欲 少事 少語 少笑 少愁 少楽 少喜 少怒 少好 少悪

 

 この十二の行を行うことが養生の肝要であると説かれている。

 

 料理に「塩少々加えまして」より「少塩」は現代の養生訓である。

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