中血圧ならいいんだね

 

 「高血圧があると脳卒中をおこすから危険です」とテレビで解説がありました。

 翌日

 「低血圧も悪いです」と別の先生の話がありました。それをみていた中学二年の子供が云いました。「お父さん、中血圧ならいいんだね」

 「中血圧」という言葉を聞いて私は驚きました。子供の頭はなんてすなおなのだろう。お医者さんだったら誰でもすぐに「正常血圧」という言葉がでるでしょう。

 私は「血圧論」についての問題点をあらためてこの「中血圧」という言葉から感じとり、「中血圧」という題で医学雑誌に書いた。人や人々の血圧をどのように考えたらよいかの「血圧論」を考えていた頃であった。

 

 歴史の古い中国医学には「脈」の概念はあったが、「血圧」「高血圧」の概念は西洋医学の中で生まれた。それも生体またはその器官や細胞などの機能を研究する学問といわれる生理学の中で。

 人が怪我をし、殺しあい、動物の狩りをし、食料にするために家畜を殺すとき、生き物から「血がほとばしる」現象は人間の生活の歴史の中では古くから経験していたことであろう。

 ホ−スで水まきをしている風景をイメ−ジすると血圧のことがよく分かる。そこに「水圧」があるから水まきができるのであるが、血がほとばしるのも「血圧」があるからだ。

 

 イギリス生まれのハ−ベイがイタリヤへ勉強に行ってそこで学んだ解剖学をもとに「血液循環」の生理学の理論を展開したのが一六二八年である。

 一七三三年ハ−レスが犬や馬の動脈に管を差し込んで「血圧」を測定した。

 上腕部を帯で(ドイツ語でマンシェッテ、英語でカフという)締め付けたり緩めたりすると脈が触れたり触れなくなったりするは「血圧」を示すのでないかと「触診」で知った。すぐ腎臓の病気の人の血圧が普通の人より高いことが分かった。「高血圧」の認識である。

 肘の窪みに聴診器を当てたところ血圧を測るときに「血管音」が聞けたり聞き取れなくなったりする現象をコロトコフが見つけたのが一九0五年(明治八年)のことであった。

 音が聴こえ出すところの圧が心臓が収縮し血圧が最大になった時の血圧に相当し、音が聞けなくなったところが心臓が拡張し血圧が最小になった時の血圧に相当すると考えた。この方法は血管に直接管を入れないから血を見ない非観血的な間接的な聴診による血圧測定法と云われる。聴診法による血圧測定法は簡単ですぐ臨床に使われ世界中に広まった。同時に生命保険事業の中で用いられた。

 

 生命保険医学は人の生命の予測ができる手段を捜し求めていた。保険を申し込んだ人の血圧を測り追跡調査してすぐ分かったことは、血圧が高いと早く死亡することであった。だから血圧が高い人は、一般的には最大血圧が百五0ミリ水銀柱以上あるような人は死亡の危険が高いからお互い助け合う仲間には入れられないと生命保険の加入を「拒絶」される。

 臨床的には「高血圧症」とよばれるようになった人をどの様に治療したらよいのかが実際の医療の問題になった。

 血圧測定の歴史からいって、血圧値の名称には収縮期、拡張期の血圧、最大、最小の血圧、最高、最低の血圧と色々云われているのが現状である。一般的にいえば「非観血的・間接的・聴診法による血圧値」を意味する。

 ところが最近は人間の耳によらない電子・自動血圧計なるものが登場してきてそれなりの数値を示すことになった。それなりのと云うのはまだ世界共通な理解に達していないからである。われわれも「生体情報として血圧の純客観的な測定法」なるものを学会に提唱し、それを用いて疫学調査研究をやっている。

 さらに圧力についての国際単位としての「パスカル」が用いられるようになってきた。例えばWHOなどのレポ−トでは血圧値「140ミリ水銀柱・90ミリ水銀柱」に「18.7キロパスカル・12.0キロパスカル」と書かれるようになった。

 

 では人が高血圧になるのは何故なのか。その原因は何であるのかが医学研究のテ−マになった。まだ総て解明されたわけでないから、「なっている」と云ったほうがよいだろう。

  だが最大血圧が大人になったときから高齢になるまで120ミリ水銀柱前後、最小血圧が70ミリ水銀柱前後に一生保たれていることが長生きにつながり、脳卒中や心臓病で死亡することが少ないことが疫学的研究によって「確率」として計算された。

 「中血圧ならいいんだね

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