衛生学教室のアルバムから(その13)

写真1 医学部玄関 昭38.1.

   

写真2 医学部への道 昭38.1.     写真3 昭39.2.21.

 写真1から3は、昭和38年当時の「医学部への道」である。

 現在でいえば、臨床研究棟の前を通って、基礎の建物へ向かう道なのである。

 写真2はの電柱の前には、幼稚園があった。今もその建物は残っていて、学生のたまり場である。少しすすむと左手に写真1の医学部の正面玄関があった。玄関の上の会議室で教授会が開かれていた。石炭スト−ブの時代である。

 写真3は同年2月21日、「雪きり」がすんだあと撮ったもので、木造の建物は基礎、正面の白い建物は図書館である。

写真4 医学部への道 昭49.8.

 この「医学部への道」が、昭和49年8月には、写真4のように変わってしまった。十年間の変化は大きかった。

 今はもう弘前市内には「雪切り」が見られなくなり、この医学部への道には、除雪車が毎日のように通り、この原稿を書いている3月中旬、「砂ほこり」がたつ日があるのである。変われば変わったものである。

 建物、そして人は、時のすぎゆくままに、どんどん変わってゆく。その中で青森の「自然」にはほとんど変わっていないところが多い。そのうちの一つ「暗門の滝」を紹介しよう。

 昭和46年8月24日、夏休みに入ってずうっと天候をよく注意していて、川の水かさが増していないことを祈りながら、西目屋の奥に入っていった。

   

写真5                    写真6

 川をあるいて(写真5)、岩づたいに(写真6)、そしていくつかの滝をのぼっていって、最後にもう上にはのぼれないところまできたとき(写真7)のものである。

写真7

 ここでは青森の全くの「自然」がわれわれをとりかこんでくれた。

 青森に生まれ、住んでいる人も、あまりいったことがないという話だった。かくいう私もこの時がはじめてで、そのあと暗門の滝に行く機会に恵まれていない。

 弘前を離れた人達の中にも、青森の「自然」にひたった青森の思い出がきっとあることだろう。

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