衛生学教室のアルバムから(その8)

写真1 衛生学助教授・教授室 昭31.1.

 教授になったのが昭和31年であったが、新しい建物ができるまで、助教授の部屋をそのまま用いていた。その頃の部屋、とくに冬の暖房の様子を写したにが写真1である。

 石炭スト−ブがゴ−ゴ−と音をたててもえて真っ赤になると、とてもあつくて顔がほてったものだが、衛生学の実習でやる温度環境はどうかと測定してみたりした。輻射をさえぎった自記温度計は20度を示していたが、黒球温度計の示度は35度になることがあったと書いてある。

 今の建物では温風暖房で、真冬でもYシャツ一つでいられるのは隔世の感がする。それでも冬になるとYシャツのよごれがひどくなると家内にいわれるのは、空気のよごれのためかと考えられ、何もかもよくなったというわけではないようだ。

写真2,3 教授会風景 昭33

 教授会に出るようになって、末席から教授会の風景をスナップしたのが、写真2,3である。旧本部の二階会議室である。

 右から入野田、和田、諸富、片桐、山本、佐藤(光)、古賀先生であり、正面には学部長の佐藤(煕)先生が座っておられたのであろう。さらに副島、次ぎはうしろ姿からみて、槇先生、二、三人とんでのりだしているのが荒川先生とつづいている。右手前の手は私のとなりに座っていた赤石教授のであろう。

 教授会の座席はとくにきまってはいなかったが、年齢とか、出身校別に左右されているようだ。

 今は私も上の方に座るようになってしまった。先日某先生に久しぶりにお合いした時、もう停年ですかといわれた時には、本当にびっくりしたものだった。

 

 昭和33年という年は、大学院設置許可のおりた年であり、南塘グランドに大水の出た年でもある。又この年から夏休みに入ると学生が国保連の世話で県内の市町村の保健活動に入るいわゆる”夏期活”がはじまった年である。

 市町村の保健婦さんと一緒になって家庭訪問したり、血圧を測ったり、寄生虫や水の検査をしてあるいた。

 最近では保健婦学生とペア−を組んで入る活動になっているが、早や今年で20年を迎えることになった。

 あの頃は、行く先々で前回紹介したような寝たっきり老人をみたり、一度も医師にみてもらたことがないという写真6のようなケ−スをみたりして驚いたものだ。このケ−スは受診をすすめたが、あとで手術が成功したと聞いたことを覚えている。

写真4 三戸町猿辺小 昭33.8.3.  写真5 五所川原市近郊 昭33.8.5.

 写真4は三戸町猿辺地区へ行った時のもので、三浦、田島、油川の諸君が写っている。写真5は車力村へ行った時のもので、高野君が写っているが、天野さんという保健婦さんに”さあ出発”と声をかけられた時とアルバムに書いてあった。

写真6 車力村にて 昭33.8.5.

 この時NHKは”僻地に文化を”という録音構成を放送したが、そのテ−プが手元にあるが、今になってみると貴重な財産というべきものであろう。

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