9 りんごのビタミンC

 

 ビタミンCは人にとって欠くことのできない栄養素の1つである。

 ビタミンCの成人1人1日当たりの所要量として50mgが示されている。

 毎日の食べ物の中にビタミンCがないと、その欠乏症が出てくる。

 昔、北ヨ−ロッパに住む人々は、肉と麦から作ったパンだけを主食料として生活していたが、冬になると新鮮な野菜が不足して、手足の節々が痛んで動けなくなり、歯ぐきから出血したり、腐ってきたりする病気に悩まされていた。風土病のようであり、壊血病といわれた。

 こんなとき、りんご船によって南から北へ流れる河から運ばれるりんごが、北欧の人々にとって冬のビタミン不足を補う健康のために大切な食べ物であったと考えられる1)。

 キュリ−夫人伝を読んでいたら、ポ−ランドのワルシャワ市街で、にぎやかなのは林檎を運ぶ船の周りだけであるという文章にぶつかった。

 「羊の毛皮にくるまった親方は、藁を取り除けて商売の林檎を見せる。凍るのを防ぐために被せてある柔らかい藁の下に、固い艶々した真っ赤な林檎が眩しいばかりに積んである。船一杯に積まれた林檎の数は何百何千とあろう。これはヰストウ−ラ河の上流のカズミエ−シュの町から幾日もかかって流れを下り此処まで運ばれて来たのである」2)。

 じゃがいもがアメリカ大陸からヨ−ロッパに入ってきて、人々がそれを食べるようになってから、昔、風土病のようにあった北ヨ−ロッパの壊血病が自然になくなっていった。この事実はじゃがいもに含まれるビタミンCのためと解釈されるのだが、そのじゃがいものことを人々は「地のりんご」(pomme de terre)と呼んだ。じゃがいもは煮てもビタミンCが壊れない食物だったのである。

 アメリカのマツカラム(E.V.McCollum)はビタミン研究の先駆者であるが、その彼が1歳のとき、壊血病で死にかかったことがある。りんごの皮を与えたところ大変気に入って食べたので、母親は子供が食べたがるのは体がそれを欲しているからだと考え、毎日食べさせたという話が、後ににビタミンAやDの発見者が「りんごの皮で救われた話」として語られている3)。

 古くは13世紀の十字軍の兵士にみられ、大航海時代の船乗りや探検家を悩ませた壊血病についての現実的対策として知られているのは、イギリス海軍軍医のリンド(J.Lind)の「オレンジとレモンの効果」を示した1753年の壊血病の研究報告である。航海にはレモン持参の対策を実行したイギリス海軍の水兵は「ライミ−(レモン臭い)」とあだなをつけられたのであるが、遠洋航海で壊血病に悩まされることなく世界を制覇していった。

 日本海軍には壊血病は起こらなかったが、日本独特の脚気に悩まされた。その対策に追われた軍医の高木兼寛によって初めて従来の栄養素とは違った食事性の欠陥に問題があることが考えられた。その食事性の欠陥は、後に人にとっての必須な栄養素としてのビタミンと呼ばれるようになるのであるが、日本食の食事を欧米風に変えることによって脚気を防ぐという成果をあげた。

 その後、動物実験でも証明され、脚気に効く有効物質の結晶(アベリン酸→オリザニン→vitamine→アンチベリン→水溶性B、そしてビタミンB1となる)が得られたのが1910年であった。

 ところが、イギリス海軍の経験でレモンが壊血病に実際に効くことが分かっても、それがなぜなのか分からぬままに、ビタミンCという物質にたどりつくにはリンドがレモンの有効性を示してからその後150年もかかった。それは実験動物として、ビタミンCの体内合成ができないモルモットを選ぶまでかかったのである。Cは食物からとらなければならない必須の栄養素であるが、人、サルそしてモルモットだけが体内でビタミンCを合成できず、体外からそのCを摂取しなければならない動物であったので、その他の動物では自ら体内でCを合成するために、欠乏症状が出ないので、モルモット以外の動物では実験的に証明できなかったのである。

 1932年になって、たまたま新鮮な果汁と古い果汁又は人工果汁とを鑑別する必要に迫られた研究から、藍色の色素であるインドフェノ−ルを新鮮な果汁は還元し無色とするが、古い果汁にはその作用がないことが判明し、その色素漂白要素がCの生理作用と平行することが認識された。

 そして以前(1928年)にセント・ギョルギ−(A.von Szent'Gyorgyi N.)がヘキスロン酸としていたものが、この色素を還元することが分かり、またレモン汁からの結晶もそれと一致することが認められ、その結晶の化学構造が分かり、アスコルビン酸(一般にはビタミンC)と称せられるようになったのは1933年のことであった4,5)。

 中世のラテン語の(scorbutus)はひびができ、裂ける傷口という意味のようであるが、それから壊血病(scurvy)といわれ、それに効く成分であるから、アスコルビン酸といわれるようになったと思われる。

 栄養素の1つとしてのビタミンC(アスコルビン酸)が確立すると、食品中のビタミンCの測定が行われるという順番になる。そしてビタミンCを測定するためにインドフェノ−ルを用いた方法が初めて行われることになったのである。

 レモンとかオレンジはビタミンCが多く含まれると報告され、従来の経験は納得された。それに比較して、りんごはどうであったろうか。

 前に述べた北里研究所の藤田秋治らは各種ビタミンの測定法を検討する中で、ビタミンCについても検討している6)。藤田らは、インドフェノ−ル色素により定量した値をそのまま100%アスコルビン酸に帰することはできないだろうと述べてはいるが、動物実験が2-3ケ月にわたる実験を必要とするのに比較すればよほど時間を短縮できるとして、各種果実や野菜中のC含量を定量して報告した。この報告の中で、ほうれん草は141(浸出液、mg%)、柑橘類のオレンジは40.2(搾り汁、mg%)と多いのに、りんごのCは0(搾り汁,mg%)であった。

 藤田らの成績がりんごの中のビタミンCは痕跡か皆無という測定値を報告しているが、神前章雄は東京大小児科教室における日常の小児科診療でのりんごの効果を考え、還元型のCだけでなく総ビタミンC、そして還元型との差から考えられる酸化型のビタミンCについてもCの効果があるのではないかと考えながら、種々の果汁のビタミンCについて検討して、りんごのCは比較的少ないが4.7-2.8mg%で、初夏に市場にでたりんごでは13.2mg%を測定、冬のりんごは夏と比較して20%減少したと報告している7)。

 現在の食品成分表に掲載されているのはヒドラジン法による総ビタミンC量であり、りんご生果可食部100g当たり3mgとされているが、ちょっと前の食品成分表に0と記載されているものもあった。

 昭和49年の「天然果汁貯蔵中の化学成分の変化」を検討した報告8)をみても、Cの測定法は日本農林規格としてのインドフェノ−ル測定法によっているため還元型Cで、各種果汁の中でレモンが45.5mg%であるのにりんごの数値は1.3mg%になっている。しかし、りんごには強いオキシダ−ゼが含まれているのでCの破壊が特に早く、製造直後にはほとんどが失われるが、貯蔵中の減少は少なかったと述べている。

 この数値だけみれば、りんごのビタミンCはほとんど期待できないことになる。

 だから新聞紙上、(昭和34年12月13日読売新聞)に「買いかぶられているリンゴ」として、「リンゴのビタミンCは100グラム中にたった5ミリグラム、成人1日のビタミンC必要量の半分とるのに、大きなリンゴを3個もなくては足りない勘定です。とくに春さきまでたくわえたリンゴはCがほとんどなくなっていますから、くだものとしての価値は栄養的にまったくゼロといってさしつかえないでしょう」と報道されたこともあるし、「りんごはビタミンCを全く含まないたべもの」に分類されると、最近でも週刊誌に書いている先生もいる。

 りんごのアスコルビン酸の含量は一般に少ないといわれるが、品種によっては約40mgという高いものもあり、その他は10mg程度を上下していたという9)。弘前大学農学部の研究によっても、りんご果実(Caluville blance)のCは酸化型及び還元型l-アスコロビン酸が40-50mg%と柑橘類に匹敵する程度含まれ、特に酸化型が還元型含量を上回ることが知られているとし、その中の代謝機構を検討している10)。

 りんごのビタミンCは、本当はどうなのであろう。

 この点について明快な解釈を与えた実験研究をしたのは葛西文造らで、1957年弘前大学教育学紀要に報告された「りんごのVitaminCに関する研究(1)」から始まる一連の研究11−14)がある。

 その内容を説明する前に、ビタミンCに概略について述べなくはならない。

 ビタミンCはアスコルビン酸(ascorbic acid)と呼ばれるが、化学構造はL型の六炭糖誘導体のラクトン環をもち、還元型と酸化型がある。還元型はL-アスコルビン酸(AsA)と呼ばれ、緩慢な酸化剤、例えばジクロルフェノ−ルインドフェノ−ルの作用によって、分子の破壊までに至らずに酸化型のデヒドロアスコルビン酸(DAsA)になり、これが硫化水素のような弱い還元剤で再び還元型に復する。この可逆的性質はCの特性であって、ビタミンCの測定法にもかかわりのある点である。そしてこの還元型と酸化型への可逆性が生理作用の基礎をなすものであり、酸化がさらに進むとしての生理作用のないジケトグロン酸を経て、シュウ酸とスレオン酸との分解する5)。

 ビタミンCは生体内の代謝過程において多くの役割を占めているが、主として結合組織ことにコラ−ゲンの代謝に関係し、傷の治療を促進し、化学的質の解毒、副腎のホルモンの分泌に関連し感染を予防し、ストレスに効果があり、アミノ酸代謝、止血と血液凝固活性に関連している抗壊血病因子である15)。

 また、最近の研究16,17)によると、生体内ではAsAとDAsAの中間物質としてのモノヒドロアスコルビン酸(MDAsA)を含めてアスコルビン酸の生体内の非酵素型及び酵素的反応が解明されつつあり、酸化還元系及び活性素との反応は生理機能の基本的概念であると考えられるようになった。

 始め、アスコルビン酸は還元型(AsA)だけが生理的作用があると考えられていた。ちょうどツベルクリン反応をみるように、インドフェノ−ル液を皮内に注射して、その藍色があせていく時間をみてCの不足を判定する方法が行われたことがあった。また食品のCを測定するのにインドフェノ−ル法を用いてAsAの量をC量として表示したこともあった。

 食品成分表の中のCの表示も時代とともに変わり、三訂成分表では酸化型(DAsA)はAsAの1/2の効力をもつものと考えたが、DAsAはAsAに比べて微量だとし、DAsAは考えないでAsAだけの量で示されていた。四訂の成分表作成に当たっては、測定法はヒドラジン法により、DAsAの生物学的効力はAsAのそれと同等にみなし、AsADAsAの合計値、すなわち総ビタミンCとして示されることになった。

 さて実際には、りんごの中のビタミンCはどうであろうか。

 りんごをむいたり、おろしたりしてしばらくすると褐色に色が変わるのを日常われわれは経験するが、この変化につての研究が、りんごのビタミンCについての研究に入るきっかけであったと葛西文造らは第1報に述べている。

 りんごの果肉が褐色に変わるのはポリフェノ−ルオキシダ−ゼという酵素が働くからであり、これも一般によく行われていることであるが、皮をむいたあと食塩水につけると褐色にならないからよいといわれる。これはポリフェノ−ルオキシダ−ゼの作用を食塩が阻害するためであろうという、りんごの酸化機構を明らかにしいた中村敏郎らの研究がてがかりであった。

 りんごのビタミンCにはアスコルビン酸酸化酵素という別の酵素があって、りんごをすりつぶすとAsAが速やかにDAsAになることを認めた。すなわちインドフェノ−ル法でCを測定すると、品種によって違いはあるものの、10分以内に速やかにCが0になる場合もあった。Cが全部DAsAになってしまうのである。この働きは食塩水では阻止できなかった。しかし、硫化水素でDAsAをAsAに還元することができ、総ビタミンCとして測定することができるので、それでDAsAを求めて検討すると、還元型のAsAの酸化は極めて急速に進行することが分かった。りんごの場合にはDAsAになったとは比較的安定で、、さらにジケトグロン酸及びそれ以上に変化することは比較的進行しがたいという結果を得た。果肉粉砕後室温において12時間経過後、約50%残るという結果であった。

 それでは、本当にりんごのCの効果があるのであろうか。

 モルモットの実験がこれを証明した。粉砕褐変りんごを唯一つのC給源として飼育して400日以上発育し成長して繁殖を遂げ、またビタミンC欠乏モルモットに対する治療試験の結果からも、またモルモットの肝・膵・腎・副腎の内蔵の蓄積量が合成のDAsAを与えたのに比較してよかったと述べている。

 「リンゴにはビタミンC含量が比較的少ないといわれるが、それでもAsA,DAsA両方の合計は平均10mg以上になる。だから中型のリンゴ1個200gとすれば、1個から少なくとも20mg以上はとれることになる。ミカンはC含量 40-50mgだが中型の1個のうち可食部は40-50gだからリンゴとミカンの1個はほぼ等しいことになる。リンゴからのビタミンCの摂取も案外バカにならぬものだと考えられる」と葛西文造は述べている18)。 さらに葛西らはりんごのビタミンCについて、AsA、DAsAの安定性について他の野菜・果物と比較して、りんごのDAsAの耐熱性は試料中最も強いことを認め、りんごのビタミンCはとかく含有量が少なく、AsAが酸化されやすいことなどの表面的現象のみをもって軽視されがちであるが、りんごのビタミンC、特にDAsAは他の果実・蔬菜類にみられない大きな食品学的特異性があり、りんごを食品として摂取する場合また調理品・加工品を考える場合に好都合であることを認めた19)。

 ジュ−サ−やミキサ−が一般に用いられるようになると、その処理によって成分がどのように変化するかが問題になる。稲垣長典らによるとアスコルビン酸酸化酵素をもつものの場合にはCの破壊は大きいと報告されたが20)、国立栄養研究所(現国立健康・栄養研究所)のジュ−サ−による果実中のビタミンC残存率についての研究によると、りんごなどのジュ−ス中のCの大部分がDAsAであったと報告されている21)。

 これで、昔からりんごを食べていたいた人々がビタミンC欠乏から救われていたことが理解できる。

 

 りんごを生産している村でりんごをよく食べていた人たちの血圧が、他と比較して高くないことをわれわれが見つけたとき、始めに考えたことはビタミンCのことであった。

 そこで、その人たちの体内のビタミンCを測定したのである22)。

 全体の8割の人の血中総C量は0.7mg%以下で、0.4mg%を中心に分布し、Cの飽和状況にはなく、積雪期にはかなりのビタミンC不足状況にあることを認めた。高血圧との関連についてはビタミンCだけでは解釈できなかったので、われわれとしてはカリウムという別の方向にその原因を求めたのであったが、リンゴによるビタミンCの摂取も無視できないと思われる。

 ビタミンCの所要量の国際比較で、男女ともアメリカでは60mg、日本では50mgとなっているが、日本での所要量の計算方法は、最小必要量は臨床症状を無くすには1日 6.5-10mg、体内貯蔵量は1,500mg、その32%が代謝されるとして、消化吸収率、体内における損失を過小にみて1日50mgとしたと書かれている23)。

 32%が代謝されると印刷されているが「第四次改定日本人の栄養所要量」24)の解説にあるように、Cの貯留量が1日代謝されるのは平均3%と見積もるとしたとのミスではないか。

 

 ビタミンCが必須栄養素であることが判明し、その化学的構造式が分かり、化学的に合成されるようになった現在、日本薬局方アスコルビン酸( ACIDUM ASCORBICUM)の生産費用からみて、1人1日必要量の費用は10数円といわれている。またビタミンCとしてアスコルビン酸ナトリウムが用いられている。昭和46年11日12日朝日新聞の報道によると、アメリカ食品医薬品局(FDA)はラベル表示していないアスコルビン酸ナトリウム(ビタミンC錠剤)を市場から回収するよう発表した。ナトリウム摂取の制限を必要とする心臓病・糖尿病患者などの有害であるとの検査結果に基づくものである。

 これらのビタミンC剤が経口摂取されたあと、天然のものと全く同じ働きをし、人間の体内の各代謝がうまくいくものなのか、りんごのもつ他の成分との関連があって抗壊血病因子でありうるのか、まだ分からない点が多いと感じられるのが、りんごとビタミンCをまとめて残された印象である。

文献

1)高木和夫:食物史からみた壊血病とビタミンC. VIC.Newsletter,3,1982.

2)エ−ヴ・キュリ−/川口篤ら訳:キュリ−夫人伝.白水社,東京,1938.

3)テルモ:医療の歴史のエピソ−ド集,1981.

4)島園順雄:栄養学史,朝倉書店,東京,1967.

5)稲垣長典:ビタミン,光生館,東京,1967.

6)藤田秋治,宮田唯夫:東京医事新誌 2894,2047,1934.

7)神前章雄:児科雑誌.45,331,1939.

8)斉藤芳枝,他.:栄養と食糧:27,139,1974.

9)望月武雄:果実の品質と肥料/青木二郎編:新編リンゴの研究,pp.294-327,津軽書房,弘前,1974.

10)玉山誠一,他.:弘前大学農学部報告.21,82,1973.

11)葛西文造,小山セイ:弘前大学教育学部紀要.3,16,1957.

12)葛西文造、他.:弘前大学教育学部紀要.5,65,1959.

13)葛西文造,他.:弘前大学教育学部紀要.23b,103,1970.

14)葛西文造,小山セイ:弘前大学教育学部紀要.27b,1,1972.

15)大磯敏雄ら訳:アスコルビン酸・・.第一出版,東京,1971.

16)重岡成:ビタミン,56,75,1982.

17)稲垣長典:家政学雑誌,34,524,1983.

18)葛西文造:りんご通信,No31,1960.

19)葛西文造,他.:東北女子大学紀要,17,48,1978.

20)渋川祥子,他.:家政学雑誌,13,145,1962.

21)森本喜代,中村敦子:国立栄養研究所昭和37年度研究報告,1964.

22)佐々木直亮,他.:弘前医学,6,336,1955.

23)鈴江緑次郎:VIC Newletter,51,1990.

24)厚生省保健医療局健康推進課監修:第四次改定日本人の栄養所要量.第一出版,東京,1989.

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